アートとゴミの境界線 2  (温厚なる紳士淑女の選ばないタイトル)

 

走辺憲史

 

(前回 アートとゴミの間に境界線等あるのか。無いのか。あまり無いでしょうという危ない趣旨で書きました。もう少し続けてみたいと思います。)

 

              1950 年代の頃活躍していた画家で,東郷青児という人がいた。二科会の重鎮といわれていて、二科会の展覧会に行けばいつも彼の作品が見られた。女性像が主だったようで,落ち着いたグレーの色調の中に,都会風の女性が描かれている。岸田劉生のような、どっきりリアリズムではなくて、みょうに魅力的な,シンボリック女性像だった。なにやら企業秘密でもあるのか、不思議なあこがれのつまったような画面だった。特徴的なのは、描かれているお姉さん達に両目がない。目らしきものは示されていても、その中にめのたまがないのだ。目球を描けば、何かが崩れるのだろうか。東郷青児さんとは一度ぐうぜんに,あるホテルのエレベーターで乗り合わせた事がある。勿論,会話等なかったが、有名な人だったからすぐにわかった。自分は高校生ぐらいだった。みばえのよい人だった。其の後,こちらも成人し、時々、あの東郷さんの絵はいったいなんだったのだろうと考える事があった。こうして年月が過ぎ、今はもう彼の事を知る人はあまりいないのではないだろうか。

              一世を風靡した,人気作家,人気画家、人気何々等たくさんいる。作家の場合、誰も読まなくなった本は図書館のどこかに積まれているのだろう。古本屋の棚の一番下とか,一番上とかで、おやすみをとっているのだろう。紙の本は本としての寿命が来ても、それは再生されたりして,また別の用途がみつかるのだろう。絵描きの場合、それはどうなるのか、押し入れの隅なのか、駅の落とし物係か。あれこれの事情で、いつのまにか,なんとなく消えていくのだろうか。要らなくなった絵はその上にまた違う絵をかくという手もある。ストーブで燃やせない事もない。これは尾形光琳の描いた油絵だといって、誰かに売りつける手もある。人はすぐに飽きる動物だ。相手が傑作であろうと,不作であろうと、飽きる時は飽きる。不作のほうが飽きられやすくて,傑作のほうがあきられにくいという法則は全然ない。「この門を過ぎてひとつ二銭のタニシかな」とか何か、そんな言葉が太宰治の小説にあった。「この門を過ぎて,ごみになりけり、タニシかな」ともいえるわけだ。ある点で商業的価値がでてきたりする。ある点でそれがまったく消えたりする。

              太宰治の引用はかなりあいまいです。あれはさざえだったかも。)

              それでも残されたいくつかの作品を,やはりレンブラントはすばらしい,とか人々は言ってきた。しかし、レンブラントだって,いつか美術館からひっそりときえていくかもしれない。どこの美術館だって,限りなく収納場所があるわけではないはずだ。何やら、はかないが、すぐに飽きられる名品もあれば,しばらくして飽きられる名品もある,といったような話だ。

           「飽きられる」の内容としては、単に興味を引かなくなるというのもある。そしてもうひとつ、時代が変わり,見るほうの目が変わるというのもある。ある時期の日本において、東郷青児のモダニズムは魅力だった。しかし学生アルバイトで貯めた金でヨーロッパに行ける時代となると。見る目は変わる。何やら,白人崇拝みたいであほらしくなる。東郷青児の絵の女達はどれも日本人には見えなかったのだ。

              この辺りから,話は強引に一般論から,自分の話にする。実は自分もプロの絵描きなのだ。だが、いっておくけど,一度も絵は売った事はない。(あっ,何度か売れた事もあった。)売った事もないのに,なぜプロなのかというおしかりが出るかもしれないが、本人がそういっているのだから,たぶん間違いない。自分がやっていたのはミニマルアートというやつだ。四畳半とか,六畳とか、八畳くらいのキャンバスにあんまり絵の具代をかけないで、なにやら描いていた。この場合,人の体に対しての,キャンバスのおおきさは必要なもので、見上げる事による効果というのも大切であった。シンプルなものでもスケールにより,別のものに見えたりする。小細工でやせた小品より,なんでもないような、ぼけーとした大きな作品が好きだった。砂しかない砂漠でも,サハラほど大きければなにやら感動をよぶわけだ。

              しかし,いくら,アイデアに限りはないとはいえ、六畳の大きさのキャンバスを何枚自分の家に置けるかという事がある。描いては,また描き,倉庫いっぱいになったらどうするか。枠からはずして、カーペットのように、くるくるまるめて収納するという手もある。それもやったが,今度はくるくるが増えてくる。それも又,限りがある。そして,そのうち自分でも考えるようになる。あれっ、、自分は粗大ゴミの製作者だ。これは絵描きではない。ゴミの生産者だ。いくら絵描きでも,製作はやめねばならぬ時もある。もう収納も限界だ。スタジオの家賃も今月またあがった。ネコもおこって、そのあたりにシシしはじめた。

              おわかりだろうか。絵描きにも少しばかりの良心はあるのだ。社会意識もあるのだ。自分でも飽きる前に製作はやめようという分別もあるのだ。六畳を作るのをやめて、米とか葱とか、芋でもつくるほうが家族もよろこぶだろう。米とネギと芋と,どれにするか。それでどうしたか,聞きたいだろう。こういった話しにも筋道はあるのだ。絵を描いて,出来あがったらそれの写真をとってコンピュターメモリーにいれるというのはやめた。そのあたり何段階か省略した。最初の製作をやめたのだ。そのあとの写真もやめたのだ。始めから、生むのも,育てるのも、棺桶に入れるのも,全部コンピューター内とした。そういう時代が忍び寄って来ていたのだ。波にのまれてみた。つまり,コンピューターは授産所であり,幼稚園であり,小中学校であり、養老院であり、究極的に墓場でもある。これで六畳に苦しめられることはなくなったわけだ。六畳が抜けて,授産所と倉庫と墓場がおなじ場所となった。トイレと,居間と,台所が一緒になったようなものだ。風情がないといえば,風情は無くなった。しかし、もういちど君のうたぐりぶかいまなざしに答えるとすると、この墓場にある作品の,量,質ともに、自分では十分プロの仕事だと思っている。自分でいうのだからたぶん間違いない。 (のぞいて見たいか、そうでもないか ?)(注意,絵とはどうもキャンバスに油絵とかのイメージがあるが、この場合、出す時は映像,プリントという事にしておきましょうか)。(六畳以上のプリントというのもあるのです。)

              しかし,笑えるのは、こうして地球のエコロジーに配慮した結果として、自分の何万の作品は指先ほどのメモリースチックにはいってしまう事になった。昔の収納の大量さの逆だ。大変な逆だ。手のひらの中のけしごむくらいのものだ。てのひらのそれに、息をふきかければ、ふと飛んでいきそうな気もする。蝶ほどではないが,結構軽い。これはいったいうれしい事なのか。言祝ぐべき事なのか。それとも,なにやら、なさけない事なのか。さびしいのか。究極に孤独なのか。前のゴミの山がなつかしいのか。もののかるさが,もののあわれを感じさせるのか。誰かのなぐさめが欲しいのか。

              (自分の作品を早めにごみといってはいけませんね)すくなくとも自分の子孫はゴミトラックを呼ぶ費用は免れるわけだ。見たくなければ、メモリースチックは台所のゴミと一緒に、捨てれば済む。間違えてその上をふんで歩けば,たぶんその瞬間自分の一生分の作品は宙にとぶ。まあ,それでいいのだろう。いままでアートをやって来た,数えきれない諸先輩方の作品は、いずれ何処かへと,粉塵の彼方へと消えていった。しばらく傑作であったアートや、はじめから全然傑作でなかったアート,それぞれ何時かは粉塵の彼方だ。粉塵になるまえには〔ゴミ〕という名誉でない時間も過ごしたのだ。自分はその不名誉な時間を自分で短縮したのだともいえる。そのいさぎよさが,ミニマルアートの神髄ではないか。

              (本気にしないで下さい。)(作品で何も残せないとすれば、仕方ないから,自分で墓   石を探して来て、じぶんで石に、「I was here」とでも、刻んでおくか。)