デザインとデザインプログラミング  その 1  

 

走辺憲史

 

 

ビジネスとしてのデザインは,誰かに雇われ、建築をやったり、都市計画をしたり、商品を作ったり,それらを売るためのグラフィックスをやったり、メデイアの下請けとなり、コミュニケーションを視覚化したりとか、いわば物やメッセージに形を与え,それで稼ぐ職業と思われている。

日本では戦後、産業の復興期、初めはただ物をがむしゃらに作るだけであったのだろう。始めは生活を成り立たせる事が最大のテーマであったが、一段落すれば、やはり優れたデザインが必要だという時期が来た。良い物を作ろうという、量だけより質の時代が来た。そうして半世紀以上が過ぎ、物造りも飽和点に達すると,良いデザインもふくめて「こんな事でよかったのか」という反省点に達してしているのではないか。生産する事とエコロジーの葛藤でもあるし、あくなき資源の消費の問題もある。また、グッドデザインのいったい何が良かったのかという疑問でもある。グッドデザインも汚染の原因であり、生活を楽にしたようで、そうでもない。作られた物は結局、次の社会の病の原因となっているわけでもある。

       デザイン産業の構造的な面を考えてみると、それらは下請け業者の悩みであろう。下請けとしては今まで頑張って来たのだけど、社会を全体像として見れば、いかにも不味い方向にいっているといるのではないかという、良心の痛みでもある。そして,何から変えていけばいいのかという、模索でもある。ここで下請け業者というと不審に思われるかもしれない。元請けである場合もあるだろうけど、基本的にはプロジェクトの発注側ではない。デザイナーが雇われる場合、プロジェクトの概要はすでに

どこかで決められていたりする。受注者という基本から崩していくとデザイナーは自分の立場をなくしかねない。そういった意味でなにやら下請けくさいという意味である。

       下請けのいったいなにがいったい不味いのかというと、作らなくてもいいものを大量に作り、作らなくてはいけない物を無視して来たという,なにか底の深い,怖いような感覚である。しなくてもよいコミュニケーションに情熱をかたむけ、言わなくてはいけない事は、言わないで来たという、あるまじき行為に対する,そして、自分自身の行為に対する、顔が蒼白になるような、不安感である。また税金を使った、甚大なる社会的投資に対して、(例えば都市を造るとか)それらはもしかしたら間違った仮定の上に成り立った、間違ったプロジェクトではなかったのかという不安である。いったいどこで間違ってしまったのか。傭われて機関銃も、大砲も撃ったけれど、撃つべきであったのか、撃たぬべきであったのか、そのかんじんな決定に自分達は参加していなかったわけだ。それではどうも、目の前の多くの死体を見れば、居心地の悪い思いがして当然であろう。

       事業、プロジェクトの「計画者とその資格」についてまず見てみよう。「意思決定とその決定をする体制、組織について」を見なくてはいけないだろう。デザイン業界もまた、組織としての旧日本軍のように、システムの崩壊/不具合として何かがあったのではないだろうか。結局、そういった無責任体制を、知らぬまま,あるいは知りつつ見過ごして来たのではなかろうか。何をいっておるのかと思われるであろうが、すこしだけおつきあいいただければ幸いである。

              日本国、自由民主党の大好きであった、「公共工事」を例にとってみよう。国民から集めた金をどう使おう、どう使ったら、皆が喜び,また自分に投票してくれるだろう、自分を「先生」と呼び続けてくれるだろう、というのを日々画策しているのが政治家という業者である。事業の計画者である。計画者は地元のために、道路を計画したり、橋をかけたり、公民館はいらんかね、、という人々であった。事業は彼らから始まるのだ。まつりあげた法案が通れば、めでたく「公民館」というプロジェクトが現実化する。現実化すれば、提案した議員はうれしい、賛成した村人達はうれしい、「おらが村にも鉄筋コンクリートの公民館」ができる。これで村のカラオケ大会を立派に行うことが出来ると喜ぶ。いいことずくめに見えた。日本全国に、それも村の一番景色の良い所に、鉄筋コンクリートの、村の小学校よりもっと大きい建物が次々と建てられた。

              自分の生まれた村にも、美しかった海岸線のどまんなかに、それはどっきりと建てられた。おおきな建物で、立派な入り口がある。 そこにはギリシャ風の柱が何本もたてられている。まわりは昔ながらの日本の民家の屋根瓦だ。屋根瓦の並びの上にギリシャがたっている。こんな村にはもう帰りたくない。じいちゃん,ばあちゃんの村はどうなったと,いまさら泣いてももう遅い。この公民館を作った「議員」は教養もなにもない,おはしゃぎ坊主だとしよう。おはしゃぎ坊主は素人だから許そう。自分の親類にも県会議員がいたが、彼は人の噂では、村の小学校では一番成績が悪かったそうだ。本当かどうかは知らない。仕事をほしがる地元の建設業者も一緒に許そう。まあ,そこまでは許せる。許すとしよう。

             

              だが、そこに少しばかりは教養あるはずの,設計図を描いた、建築家が参加していなかったのか。壁紙、椅子席,調度をデザインしたデザイナー達はいなかったのか。つまり,発注者,発案者たちは全員素人としても、プロであるはずのデザイナーたちがいたわけだ.参加していたわけだ。賃金をもらっていたわけだ。こんな公民館のような仕事をして、なぜ、プロ達は恥じないのか。ここにシステムの崩壊/不具合がある。システムの構成員は仕事に参加していながら、「自分のせいだと」誰も感じていない。恥じて,そして責任をとり、首をくくってもいない。まるで旧日本軍なのだ。自分たちこそ,環境破壊の原因であるとは思っていない。彼らこそかって学生としては、環境問題を勉強し、「大人達はよくないよ、、」と討論していたはずなのだ。

              公共工事をまず、例にとってみたが、民間の事業もあまり変わりはないだろう。どこかの社長なり、管理職の誰々などが、こんど新社屋を建設しようと計画する。つまり政治家とおなじように素人発案である。その素人達があれこれと企画会議等をつくり、検討を重ねた上で建築家などを呼ぶ。どの時点で呼ぶかは依頼主の事情であろうが、どの時点であれ、呼ばれた建築家はサービスの提供を業とする者である。依頼されないと自分の給与は出ない。スタッフの給料もでない。スタッフのひとりはこの間結婚したばかりだ。ひとりは女房と三人の子供をかかえている。どういった対応をすれば、この依頼主が喜び、支障なく契約が自分のほうに降ってくるか、あまり想像力がなくてもすぐわかる。

              「なんやこれ,あほなプロジェクトやな,いまのうちにやめときなはれ」という意見は少々景気の良い建築家/建築事務所でものべぬくい。つまり,多くの場合、プロジェクトは,設計もはじまらないうちから、すでに内容的に破綻をしている場合がある。それでもあえて設計してしまった,工事まで済んでしまった。そういったプロジェクトが、家として,道として、町として,国土として、東京都として,名古屋市として存在している。背中に、じとっと寒い風が吹かないか。旧帝国陸軍参謀総長の心持ちがどこかでしないか。全然しないか。

             

               デザインの話が日本全国版となった。火事,地震,津波,疫病,その他,いろいろの災害等あるたびに、人々を殺すのは,デザインのプロたちの作った,家,建築,家具,道路,水道,ガス、交通,地下鉄,ショッピングセンター.エレベーター,地下街、自動車、等等という,産物なのである。神戸の地震とその被害の性質、津浪による東北の地方崩壊、原発事故など,かなりわかりやすい設計ミス、あるいは企画ミスではないか。設計,施工は誰によってなされたか。プロ達である。どうしてそうなってしまったか。理由はばかばかしいほど、簡単だ。デザインに取りかかる前の検証がなかったのである。「お仕事ありがとう」とはいったけれど、「すこしは検証ぐらいしなはれ」とは誰も言わなかったのだ。「あほとちゃうか、誰の企画や?」と誰も声を上げなかった。「これははじめから、ねりなおしやな」とも言わなかった。

 

           実際の数字を見なくても、これまでの人類の起こした戦争による総死者と、 車による交通事故、 他の産業事故、都市設計、環境事故、デザインミス、それらの総死者は、後者のほうが圧倒的に多いだろう。つまり、デザインの仕事は「Discover Japan」といった旅行のポスター制作だけにとどまっていない。どんな食品を売りつけるかも、どんな町に住むかも、みんな関わってくる。生活全般がかかわっているのだ。「すみませーん、気がつきませんでした」ではすまない話しなのだ。

              デザインにかかる前の検証無しに、プロフェッショナルの仕事は成り立たない。それを〔デザイン プログラミング〕という。デザインの仕事を発注するまえに、もうひとつの作業が必要だったわけだ。あるいは仕事を受ける前に、うちでは「検証プロセスにデザイン料の四分の一をつかっています。その結果、この仕事を受けない事になっても、その四分の一の費用は払っていただきます」という契約があってもよかったわけだ。クライアントに無駄金を使わせるより,よほど良心的ではないか。

              個人の家をたった一軒建てるにしても、デザインプログラムは必要だった。収納とか、対面式キチン、ここが娘の部屋とかいうまえに、ここに何年住むつもりとか聞いてみる。使用期限十年の家なのか、100年の家なのかで作り方はちがう。また地盤はだめね、海より低いわ、とか基本的に検証すべき事もあった。建てて次の年に鉄砲水で流されるのなら、作らない方がいいわけだ。それなしに家という一生ものの、プロジェクトコストを個人に背負わせてはいけないわけだ。

              個人の住宅と比べて、大予算プロジェクトは、すこし違うかもしれない。建築家を雇う前に、プロジェクトマネージメント会社が入ったりする。設計だけしかしない建築家には予算を守れないという事故が多く、もめ事が絶えない。素人である依頼主のかわりに、プロである、マネージメント会社が建築家を監督する役目をおう。それはしかし、多くの場合、予算とか、工期の管理とかに限られていて、総合の〔デザインプログラム〕ではない。そこでは、建てるべきか、否かは,もうあまりかかわりない事だろう。プロジェクト内容検討、企画責任は、ほかの委員会だったりする。

             

              戦争の計画をする軍人には,戦争の是非を判断する能力はない。かってもなかったし、これからもないだろう。旧陸軍大学のカリキュラムが、多くの人に関心をもたれているようだ。学生達は国際法もしらなかったらしいし、普通人のもつような常識にも弱かったらしい。兵は生き物で、飯を食うということを理解せず,それを数量として計算してみなかったようだ。

               では、デザインのプロ達のカリキュラムはどうなっているのか。よく言われるのは、職業学校では「家はこうやって作るのよ」ということを教える。しかし大学では、もっと格好をつけて 「なぜこのプロジェクトなのか」ということを教えるとかいう。 「How to 」と 「Why ?」の違いだ。なるほど,それはすばらしいと思われるが、看板倒れの面がある。どんなデザインプロジェクトにしろ,その是非を問う段階がなぜか欠けていた。大学でもまじめに教えてこなかった。文化の所行としてはまるで、かっての太平洋戦争と同じである。軍人達はプロなのに「この戦争は,どだい、無理でっせ」とは いわなかった。ではプロ達は、なにも知らなかったのか。いいえ,結構わかっていた。わかっていてやった。攻撃を受けて立つという守備戦争ではなく、攻撃を先に仕掛けてしまった。そして 雇い主である国民を愚弄することとなった。愚弄だけでなく、日本だけで210万の兵達と、80万の雇い主を死に追いやった。

 

(いろいろな数字があり、世界全体では第二次世界大戦で2300万の兵と3000万の民間人という数字もある。しかし徴兵された兵もいわば民間人である。両方あわせれば世界では5300万という数字となる。プロである軍人として軍を用いた場合の、その成功率は見えていただろうといった事だ。仮想敵に対してのシュミレーションは常時やっていたはずだからである。)

 

 

デザインプログラミングは結構大きなテーマなので、色々な方角から書いてみます。