いまだに大都市

 

走辺憲史

 

 

              ---------ロンドン動物園のキューレーター デスモンド モリスは動物園と近代都市を比較し、どちらの居住者も、置かれた状況が人口的に作られている事に苦しんでいると指摘した。かっての自然の中の生息地をあとにして住みついた都市は人間にとっては基本的に退屈きわまりない場所だった。常に刺激を欲する人間の要求を満たしてくれないからだ。だがその結果として都市のそういう不足を補う妙手をいくつも考えだしたのも人間の人間らしいところだった。 中略 人間は必要もないような問題を作り出してはゆりかごから墓場までの暇をつぶす。困難は自分たちで作り出す。仕事は必要以上に複雑にする。余暇にはますます手のこんだ慰みごとを登場させる。自分の代理をたてて勝つか負けるかのゲームに興ずる。暮らしの中でも自己表現により複雑なもの、より高度なものを指向する。中略 もはや機敏に反応する必要等ないのにわれわれはせかせか動き回る事をやめない。ひとえに何かするという事は何もしないよりはましだと思っているからだ。

 

( ライアル ワトソン 著 筑摩書房 1988〔ネオフィリア〕の序文より) 

(ネオフィリアの意味は 〔新しもの好き〕)

 

               ライアル ワトソン氏はアフリカでうまれたという博物学者である。動物行動学の博士でもあり、生物、生態学など専門は多岐にわたる。その人が都市と人について書いている部分を借用してみた。人は人の作った都市のようなところでも生きていける、「えらいやっちゃ」というようなほめられているのか、くさされているのか、よくわからないような指摘がなされている。まあ、都市の新品の部分には「わあーすごい」という成功部分もみられるわけだし、その反対の都市のほころび、くたぶれきった部分には、かとなき哀愁や廃残のなさけなさも、人くささもあるわけだ。われわれにはどこかに廃墟趣味もあり、「廃墟だ、廃墟」だとうれしくなって 踊りだすというところもある。つまり人は良い物を見ても、悪い物をみても退屈しない「えらい動物だ」ということになる。特にここに集まっていらっしゃるガード下学会の方々等、進歩した興味を持ちうる進んだ人類という事となる。(わるくとらないで、よいように理解して下さい)しかし、今日のテーマは「 I love Tokyo」ではなくて 「東京という失敗」についてなのです。

              東京が失敗作品だと思っておられない方も世の中には結構いる。誰にも郷土愛があるから、東京は世界で最も住み良い、楽しさに溢れた町だと言う意見もある。実際に町を歩いてみれば実にたのしい。少し歴史をみてみると、明治の時代東京遷都を決めたのはまあ、僕の生まれたところである、薩長勢力といわれている。理由は京都には産業があり、大阪も商業がある、東京だけは殿様達以外にあんまり何もない。放っておいて東京を潰してしまうのはかわいそうだという、深慮遠謀からきたらしい。

              しかし、ここまで東京がモンスターになるとは誰も思っていなかった。教育、政治、ファッション、デザイン、文化の発信地、産業、本社機能の集積化、情報機能の一元化、なにやら大変なモンスターとなりおった。おかげで長州の田舎は過疎の村々ばかりで、夏の昼間村々を歩いたら、まだ数人は住んでいるはずのじじ、ばばの影も見えない。夕方になってばば一人だけが、もう誰も住んでいない家と家のあいだの露地を、すーっと一人だけ横切ったりする。これでよいのだろうかと田舎の疲弊を嘆く人は多い。鳥取県等でも村全部が過疎の果て消えてしまい,たぬきとか猿しかいないとかいう。

 

           --------日本はまことに都鄙の国です。中国から見れば一望の鄙のなかに、にわかに奈良の平城京が出現するのです。 中略 これが「新文化だぞ」というおどしが青丹に塗られた瓦葺きの宮殿、官衙によって示されました。奈良の都は長安からもってきたものですから、中央の国司などが疑似長安風を地方にばらまく、国司は奈良で見習った疑似長安風のふるまいをして江南の呉音で漢語を発音しますが、その下にいる地付きの現地採用の豪族出身官吏はあたふたとまねをしているだけです。いつまでたっても鄙、田舎なんです。中略  奈良の都から、平安京になり、京都が都になっても文明の光源が都にしかないという点では同じです。平安時代というものは地方は闇ですね。田舎武士どもは都にいる武家源氏をたよって公家の雑役をしにきます。そうするとけちな官位がもらえるんです。そのおそるべき風習はいまの若い人にもあります。短大等どんな山間僻地にもあるのにわざわざ東京の短大に出てきたがる。目的は原宿などで群れたい。もうそれで都の手振りになり、東京人そのものになる。

 

(司馬遼太郎 著 文芸春秋社 1988 「歴史と風土」より)

 

              司馬遼太郎の書いている日本における,都鄙のカルチャーというのはいったい何を起源としているのだろうか。イギリスとか、他のヨーロッパ諸国であれば、都会において何らかの成功を収めた人達は、だいたい田舎にカントリー エステイトというものをもつ。ジェントルマンはカントリーに邸宅をもっているものなのだ。そんなのもっていないのは貧乏人なのだ。都市カルチャーのコアの部分はまた田舎のエステイトへと帰っているものなのだ。そして、またそこで、つまり鄙で鄙カルチャーを紡ぐ。つまり東京で東京風にジーンズをはいているから、田舎に行けばそのかっこうよさで人々がいちもくおくというのは,どうも貧困なのだ。東京風の柄物ストッキングをはいたおねえちゃんが、田舎では外国から来た映画スターのように気取れるというのも、やはりどうも貧乏くさい。くさくないか。

              戦後の日本で東京一極にしぼったのには政治の意思がはたらいていたと、どこかに書いてあった。そうなのだろうか。だれがそうしたのであろうか。一時に日本全国を復興させるのはまあ無理だ、まず首都からでもといった意見があったのだろうか。近頃言われている、道州制になれば,そういった都鄙の関係が修復されるのであろうか。修復されてほしいと思う。東京が外国、世界との接点であり、かっての平城京のようになぜかここから発信されるものには価値があるように見えた。そして、田舎人はなぜか素直な子犬のように、東京に向かってしっぽをふってしまう。しっぽを振るまいとしても、しっぽがかってにみぎひだりする。そして、モンスターは肥大する。しかし、東京が失敗作品だという話題のもっとも本質の部分は、「都鄙」の問題だけでなく、デザインとしての東京、あるいはデザインプログラムとしての東京の失敗についてである。これは国民的社会投資の失敗と言う話題でもある。デザインだけではなくて経済としても無節制,無規律,無防備だったということである。

 

              ---------唐の時代にベトナムに安南都護府がおかれ、朝鮮には安東都護府がおかれた。この大唐帝国の二つの辺境はそのころから純乎たる中国体制をとって歴史をかさねてきた。朝鮮の李朝は五百年も続きます。しかし不思議な事に面白い人物というのが出ていないのですね。 中略 完璧性があっても独創性がすくないということ、それがつまりアジア的停滞なのですね。 中略  あの中国文明を文明の基準におけば朝鮮やベトナムのほうがあきらかに日本より文明的です。しかし生産的エネルギーを押さえても押さえきれずにペリーの来航まで押し流されるように来た日本の歴史の方がかえって面白い人物を出したりするという事は、アジア史のなかで少なくとも十三世紀以降の日本は別の目で見ないと間違うのではないでしょうか。

              このエネルギーをコントロールしていく哲学をわたしたちは自分で開発しなければいけないというところがあるでしょう。今そういうところをやっていないわけですね。 ー中略 やはり日本は自分で考えていかなければしょうがないところがあるでしょうね。今までむちゃくちゃやってきた感じですね。

 

(司馬遼太郎 著 文芸春秋社 1988 「歴史と風土」より)

 

 

              この引用で、司馬遼太郎が述べている、「日本人は、そのエネルギーをコントロールしていく哲学を開発し損ねている」ということは面白いと思う。例えば、東京こそが「今までむちゃくちゃやってきた感じですね」という言葉の大なる事例 ではないか。つまり製作のエネルギーには感心するけれど、「よほど、あほじゃないとこんなもの(都市)は、作りませんね」という展開である。

              東京は関東大震災のきた土地なのだ。(1923年190万人被災、10万以上死亡、家屋21万全焼、11万全壊)安政の大地震というのもあった。(1855年–埋め立て地で被害が大きかった、30余箇所で出火、2、2平方キロ消失)そして今度、10メートル、あるいはそれ以上の津波が来たらどこからどこまでが、海の底になるのだろうか。駆け上がってくる波の高さ、遡上高でいうと今回の東北地方太平洋沖地震では岩手県大船渡では40、Ⅰメートルの場所もあり、宮古市では4、5階まで浸水した建物があったという。そんなものは来ないよと言える人が、実際にいるのだろうか。町が10メートルの海の底になった時、これだけの膨大な都市構造、組織、通信、交通、道路網、地下鉄、商業施設、その他、そういった発達しきった地下にいる人達はいったいどうなるのか。10メートルの海の底のその下の穴である。 普通の道路面の高さから人が入っていく地下鉄に防水扉でもついているのか。それが電動とすると、そんなものが本当に作動するのか。 地下にいる何十万,あるいはそれ以上の人々に逃げる場所はあるのか。消防等の訓練でやっているようにヘリコプターで数人つり上げたら、人命救助といえるのか。東京に集中した、これだけの研究施設、大学機能、政治機能、ビジネス機能を海の底に沈めた場合、日本経済はどうなるのだろうか。なぜ集散ということが出来なかったのか。

              また地震でこの都市がほとんど燃えるとすると、人々はどちらにむいて逃げるのか。河川敷とか、空地がこのあたりにあるのだとかいっているが、地震ではまず電気が来なくなる。30階のアパートに住んでいてもエレベーターは動かない。そこに住む老人達をどうして,また誰が一人一人降ろしていくのか。時間をかけて降ろしてみても、その後どうすればよいのか。収容のための病院船が海いっぱいに来てくれるのか。水が来ない、ガスもこない、通信網も破壊、下水道も使えない。怪我人、負傷者は周りに溢れている。あるいは地下設備の爆発、工場の爆発,発火、都市にちらばっているガソリンステーションの爆発、大型ビルが発電用に備蓄したガソリンも引火する。病院も同じである。住宅では人々は神戸の時のように自分の家、そして持ち物に挟まれ、下敷きになり、動けなくなっている。町中に数えきれないほどある車にも、それぞれにガソリンタンクがついている。その爆発力を考えてみよう。火 がまわりくる。水が三、四階建ての高さまで浸す事になる。とても、女、子供、普通人が、無事に逃げられるようには思えない。

              子供が考えてみても「今までむちゃくちゃやってきた感じですね」と司馬遼太郎と同じ結論が出る。人は集まれば集まるほどアホになるのか。“collective indifference” という表現がある。「集団的無関心」といった意味だ。文化的無関心という言葉もある。つまりなぜか「なにも気にならない人々の集団」という事だ。地震,天災が来るという事を犬や、とかげは全然気にしていない。彼らと同じではないか。 集団の罪というのもある。繰り返される無関心が結局、被害を大きくする。地図の上に、鉛筆一本でこのあたりは住宅は建てさせません、とかいう線を引くだけの事だった。都市の地域計画の事だ。手に鉛筆をとり、ゾーニングをやればよかった。たったそれだけのことが出来なかった。まあ、司馬遼太郎は、こんなきつい事はいわなかった。しかし、彼の言葉を、すこしだけ伸展させてみれば、このようになる。「そのエネルギーをコントロールするべき哲学」知恵、あるいは社会技術がなかった。やるべき事と、やるべきでない事をふるいにかける、あるいはそれらを分ける検証能力、そういったものがなぜか欠落したまま、巨大都市をつくってしまった。出来てしまったわけだ。

               都市が勝手に肥大して、増殖し、その成果はすごく立派で、えらいようでもある。すばらしいようでもある。しかし、また全く反対に、全然そうでないようであり。究極の「アホ」みたいでもあり。なにか言うだけ無駄のようでもあり。なにか寝付きが悪くなるだけの、敗残感でもある。

             

              エジプトのピラミッドという大プロジェクトに対して歴史的評価が色々あるのをご存知だろうか。

 

           ピラミッドは盛大なる古代的搾取の結果であり、数えきれないほどの奴隷の汗と悲惨な生活,その犠牲の上に成り立ったプロジェクトである。

 

           ピラミッドは実際には奴隷によってたてられてはいない。優良なるファラオ達が農閑期に収入の無い農民のために十分な報酬を払い、自分たちの死後の栄光と、農民の収入安   定のためにとはじめた,いわば慈善プロジェクトである。つまり、コンセプトと世間の経済とがうまく合致したと              いう,正当なるプロジェクトであった。そのうえ五千年後、大きな観光収入まで勝ち得ている。

 

           世界史において、ほんの時々生産がその国民をほんとうに潤すほど、豊かになる事がある。そういった状況にくすしくもなったとき、人はそれを社会的投資として、自分達の   ために使う事をしないで、ファラオ達の墓と言う、いわば、らちもないことに使ってしまった。これはピラミッド以外の、歴史上の大建造物のほとんどにいえる状況なので      ある。つまり、人は「あほや」という結論になる。食えるほどの豊かさになったにもかかわらず、人はそれを甘受する能力がないわけだ。歴史は哀しい。

 

           大きな岩盤にこのあたりにくさびを何本か打てば、岩がぱりんと割れて三メートルばかりの大石の立方体をつくる事が出来る。そういった技術がどこかにあったわけだ。技術   があったという事が国民の不幸であり、ファラオのひまつぶしに、機会を与えてしまった。技術はけっして人々の生活の向上には役立たないという、よい教訓がここにある。原子爆弾、携帯電話とかも同じようなものである。

 

              戦後の日本史は一言で言うと「拙速」という事だったのだろうか。「やってまえ」が先で、あとは何にも無かった。目的にも手法にも欠けていた。それで、らちもない東京という町をつくってしまった。次に大きな天災が関東平野を覆った時、その次の天災に備えてまたまた、「反省会」というのをあちこちで催すのだろうか。それで許されることなのだろうか。それとも、ピラミッドの場合のように、土木機械とコンクリートがあった故に、人が頭を働かせなくなくなったということだろうか。高速道路のトンネル天井にまで何十トンの重さのコンクリパネルをのりづけ(イポクシー アンカーだろう)して吊るすという愚行に走った。コンクリは特別スペックでない限り、浸透性である。なかの鉄筋がビニールコーテイングなどしてあっても、長い時間の中では、水分、塩分が浸透し、鉄は何時か消える。これは東京地下の話しでもある。元々、東京湾/海であったところに深く作られた地下巨大施設の話しである。鉄が全部消えなくても、痩せるだけで構造性能としてはもろくなる。せっかちを性格とするアリ達が、間違った場所に大きなあり塚を,おっ建ててしまった、そんな話しなのだろうか。アリ達の才能がアリ達を滅ぼす。そんな昔話なのだろうか。

 

(この稿のテーマはデザインプログラミングでした。)