サウサリート (水上の村‘)

 

走辺憲史

 

 

           何時だったか,大阪万博跡地に民博が出来で間もない頃、あそこのビデオテークというので遊んでみた。何を検索しようか迷ったが,ふとおもいつき、中国の水上生活者「蛋民」というのを選んだ。けっこう色々出て来て面白かった。漢民族ではあるが、あまり上等でない中国語を話すらしく、1970年頃までも,蛋民以外との通婚もなかったとかいわれているらしい。人口的にもその生存する領域としても大きなグループであったらしい。

              アジア一般に水上生活者は多い。勿論,日本にも多くいた。瀬戸内海にもほんのこの間まで,家舟というのがあり、赤ん坊も,子供も,女房もみんな載せて旅漁などをやり生活をたてていた。そういった家族のために半寄宿生活を送る事が出来る,小,中学校などもあちこちにあった。(宮本常一さんが詳しく調査,執筆されている)自分の子供の頃にもその水上風景はあり,水上小学校等あった。夫が漁をやり,女房が魚の行商をしたりしていた。魚をかついできて、芋でもいいし,米でもいいから、換えてくれというのもあった。子供の頃の自分もそういった魚を食った事もあるのだろう。

              インド,アフリカ,ヨーロッパ,どこにも水上生活者はいる。パリのセーヌ川にも結構、家舟はならんでいるし、コペンハーゲン,アムステルダムなどでも川船や昔の石炭船などを改造したような家舟がたくさんならんでいる。スタジオになっていたり、レストランにもなっていたりもする。ではそういった,水上生活者は現代のアメリカにはいないのか。それが結構たくさんいるのだ。シアトルの水上村も昔から有名だった。これはワシントン大学のすぐ南のレイクユニオンあたりにある。その南のオレゴン州,ポートランドにもリバーボート,コミュニテイがある。カリフォルニアの州都であるサクラメントも複雑なデルタ平原と川で出来ていて,あちこちにリバーボート コミュニテイがある。

              そのなかでも、かってのサンフランシスコ郊外のサウサリートの水上村はもっともすごかった。特に40年位前には自由気侭なコミュニテイがあり、かなりなものだった。今日はその頃の様子を写真等で紹介したい。今はシアトルも、サクラメントも、サウサリートも水を汚してはいけないよ、という規制などで、どちらかというと面白くも何ともないものとなった。水の上には浮かんでいるが、まるで普通の住宅のようになってしまったわけだ。まったくの堕落なのだ。それらの水上住宅は昔はどうあれ,今はずいぶん「美化」されている。つまり、郊外化され,普通の良民たちが住んでいる。建築家等が入って規則やデザインをとなえはじめることにより、その堕落がはじまったのだ。人々は勝手にやらせてさえおけば、じつにふざけた、すばらしいものをつくるのに。

              ご存知のようにアメリカは今でも,なかなか,ワイルドな国だ。ひとりオオカミ,ひとり熊,ひとり猿、ひとりアナーキスト,ひとりブッダ、ひとりモハメッド、サーバイバリスト,世界終末派、うんだら,うんだら,いるのだ。政府をあまり信用していなくて、官憲が我が家に入って来たら、一戦交えるのだという人達がけっこういるのだ。それで皆、自動小銃,つまり,機関銃といえるものなど持っている。そこまでいかなくても,「わし,隠れるのよ、、」という隠遁型も結構多い。そういった隠遁型が,アメリカ大陸に夜も 我が身をおき,そこで夜毎の夢を結ぶ事をいさぎよしとせず,海上に逃れたのだ。

           前々回「ルート66」でご紹介したように、逃れ人は多い。浮遊族は多い。その一部は海に逃げ、そこで手造りした家フロート達がいつか,数をなし,集まり、集落をつくってしまった。官憲としては集めて,逮捕するか、闇にまぎれて火でも付けて歩きたいところであったろうが、そうもいかず,中には有名人も住んでいたりして、手をこまぬいているうちに、村がだんだん大きくなり町になり、ついでに観光名所にまでなってしまった。浮浪住人から市会議員など出たりして,ますます,手に負えなくなって来た。悪い事をした警官や、ぬるりと逃げてしまった射撃のうまい兵隊や,わけのわからない連中がすんでいるから、市としても手がだしぬくかったのだろう。

              自分も、サウサリートには何か縁があり、通り過ぎの住人として短期間その村人達とつきあった事もある。そこを訪れていたのだ。学生時代につきあっていた女性と、その女性の知り合いの持つ二階建てのハウスボートにいた。彼女の知り合いはそこにはいなかったから、バケーション中の家でも借りていたのだろうか。昔の事で、いまはどういった事情でそうであったのかなど思い出さないが、別の恋人とまた,サウサリートに何年か後に訪れていた事もある。其の時はカブースというものに寝泊まりしていた。カブースというのは何かというと,昔の列車の一番後ろに引っ張られていた車掌用の車で、それを何処かから買って来て、クレーンでダルマ船のうえにのせ、はい,家が出来ましたと、いったものだった。車掌用のだるまスートーブの化け物のようなものがついていて、なにか笑えるセットアップであった。

              サウサリートというのはどこにあるかというと、サンフランシスコ市の北端にあるゴールデンゲート橋を北にわたった所だ。いわばその最初の町だ。昔ポルトガル移民が住み着き,そこを基地にして魚等とっていたらしい。のちにマリン カウンテイというリッチ コミュニテイとなった。自分が知っていた当時は雑多なコミュニテイで貧乏そうな老人達もいれば、サンフランシスコの成功者達もいた。そしてこのフローテイング コミュニテイには、詩人のアラン ギンスバーグやそのグループ達なども住んでいたらしい。そのサウサリートを通りすぎるとどこに行くかというと、あのカリフォルニア ワインの名産地、ナパ,ソノマというワインカントリーに入っていく。なだらかな丘の上に、ぶどう園がつらなり、それぞれの醸造元の瀟洒な建物が見える。ワインカントリーだから、名のあるレストランもあちこちにある。

 

              ついでに当時の生活環境等言うと,あれは何やら文化革命のようなものだったのではないか。女性の立場がかわったのだ。歴史上、女性には生む性としてそれなりの文化的保護がいつも付帯していた。モラルも,経済も,慣習もなにかそう出来ていた。だけど,あの頃は女性が生む事を前提として男と関わる事をやめた時代だった。恋愛と巣造りがかならずしも一つの流れではなくなっていたのだ。実際問題として、いくら愛がいっぱいあっても,相性の悪いやつとは,相性がわるいのだし、今日、いくら愛があっても,明日もそうとは限らないのだ。いくら市役所に駆け込んで結婚証明書を買って来ても,男女は別れる時は,別れるものだ。

              当時の若者達は,自分の両親達の生活を信じていなかった。家の中で、ガミガミやり合っている両親達を毎日見ていて、「ああ,これが結婚というものなの、、」と見ていた。自分たちがその両親達の生活をまた繰り返すというのはありえなかった。そして、何か別の生活形態というのは無いのかと思っていた。いくら豪華なマテリアルライフを、両親達がやっていても,なにか素敵に見えなかったのだ。そういう若者達がどういった男女関係を構築するだろうか。だれかを拘束するというかたちの愛にたいする疑問が生じる。又,女性が男性に対して商品のようである事に対する疑問も生じる。そんなのやめたい、となったわけだ。対等化がはじまっていたのだ。

 

              日本語の「浮き世」というのがサウサリートの水上コミュニテイの気分の底流にあったようだ。なにしろ、町,村全部が水の上に浮いているのだ。それもいわばアメリカ大陸とは薄板一枚でつながっているだけであった。この細板を,渡ってきたい人がいれば,渡ってきてもいいよ、といった気分があった。また、写真でお気づきのように、中には城や教会のように高い構造物もあり、自分は自分であるという意識も強かったように思う。