ソルトレイク           (ハイデザートに棲む事)

 

走辺憲史

 

 

              ロスアンゼルスから、六時間ばかり、時速75マイルで東の方角に車を飛ばしていけば、砂漠の向こうに突然、ラスベガスという街が見えてくる。皆さんご存知のギャンブル、享楽の街である。街のすぐそばに作られた国家的大プロジェクト フーバーダム、(つまりコロラド川をせきとめ巨大レイクと発電所を作った)のおかげで無限に電力が使え、無人の砂漠の土の上に突然大都市が現れたわけだ。それはかってギャング達が跳躍した、不思議な現実味のない大都市である。建築はどでかく、ど派手だ。世界中の成金達を、「なんとまあ」と、驚かせるのを目的としている。金、金、金と歯止めの利かぬ建築群を作るとこういった街となるわけだ。

       そのラスベガスを後にして、フリーウエイをそのまま突き進んで、また、何にも無い中を5時間くらい走ると今度はまた、なにか「ほんまかいな」というような街が現れる。これも砂漠の中の大都会で、ユタ州の州都であるソルトレイク市である。知らない人が見たら、これも又、誰かがジョークとして、長いフリーウエイの運転に疲れた人々をなぐさめるために、突然、街を出現させたように見える。この国の人々は本当にジョークが好きで、こんな何もない、しょうもない所に、街を作ってしまって、本当に笑わせるのがお上手だことと、褒めてあげたくなってしまうのだ。

       ソルトレイク市も、なにかフェイクというか、まがまがしいというか、スペース ワープというか、そのたたずまいにおいて、ラスベガスに全然ひけをとらないような感じがする。これは単なる映画のセットであり、来週になったら、全部引き上げられて、また元の砂漠に還るのではないかと思われる。そして、残るのは山にかかる大きな虹や、通り雨だけのような気がする。

       このフェイクさに、もう一重の衣をかけるのがこの街の宗教都市としての機能である。街のデザインはその教会(実際には道路標識にはテンプルと書いてあった)を中心になされている。写真にみられるように、なぜか、街の建物が妙にゴージャスで、ラスベガスのきんきらきんと違って、こちらは本格的にゴージャスなのだ。砂漠に超美人が超ファッションで突然現れたように、当方の頭が狂ってしまうのだ。(街がそんなに美しいといっているのでは全然なくて、ただ驚きの度合いをそういっているのですが。)

       歴史をみると、ほんの二百年前、ジョー スミスという「山田太郎」さんみたいな名前の男がバーモントに生まれた。(1804−1844)彼の両親は貧乏な百姓で、金が欲しくて親父も時には山に入り山師のようなことをしていたらしい。ジョーも同じく山に入り鉱山でもみつけるとか、なにか落ちていないかとか探すようなこともしていた。しかし、金銀銅などそんなにみつかるはずないし、24歳の頃、山の中に神がアメリカ人用につくったという聖書をみつけたことにしたらしい。これが大当たりで、信者が出て来ただけでなく、またたくまに増えてしまった。しかしなんといっても当時の旧教からも新教からも大反発を受け、なにやらの罪で牢屋につながれた。35歳のときその牢屋のなかで、ジョーは武装した市民グループに殺されてしまった。実に短い人生であり、実に短い詐欺活動期間であったようにも思える。

       この今は大きな宗教の教祖のしたことを詐欺活動といっては申し訳ないのだが、彼の年齢を聞けば、疑問が出てしまう。まあ世の中という不思議で巨大な怪物のどの辺りを食い破ってみれば、じぶんの生きる道が見つかるかという、若者特有の探検活動といえばもっと適切なのだろうか。それとも本当に、森で宗教的経験をしたのだろうか。それとも経験をした事にしたのだろうか。200年前であろうと、2000年前であろうと、時間差はまあ、たいした事は無いと言える。ヘスース クリストだって若い時どこからか突然出て来て、なにやら示して、またすぐにいなくなってしまった事ではジョーに似ていなくはない。

       ジョーのはじめの活動地は、オハイオ州 カークランドであり、後にイリノイ州に移った。そこで殺されたわけである。ジョーは自分の死後、豊臣秀吉のように(数は違うけれど)12人の長老達による合議制による継続を望んでいたらしい。しかし「そんなのあほらし」という,ブリガム ヤング (1801−1877)というなにやら怪物らしき人物が出て来て、簡単に教団組織を乗っ取ったようだ。このブリガムという男もバーモント州の百姓のせがれで、若い頃は建設現場で働いたり、村の鍛冶やみたいな事をやっていたらしい。1847年にこのジョーに似て、ジョーのように話す事が出来た男がこの宗教団体のトップ(プレジデント)となった。その団体の正式名は「後から出て来た聖人の教会」という、なにやら、ひとをくったような、笑いの含まれた名前となっている。あるいはモルモン教ともいう。

  このブリガムのもとで、1847に団体は軋轢を逃れ東部より撤退した。現在のソルトレイク市にと移り、自分達の街の建設にとりくんだ。当時、ユタという州は無く、メキシコ領の砂漠であり、そこにブリガムは今もあるソルトレイク市の大教会、そしていくつもの教会を建て、学校をつくり、そしてユタの初代ガバナー(州知事)となった。何やら、映画のような、漫画のような、話しの展開が早すぎて,感心している暇もないような、実話である。

  その頃のアメリカ大統領のジェームス ブキャナンという人は何やらユタの方で得体の知れない連中が、アメリカ政府の意見を無視して、勝手な事をやっている事を知り不快に思った。そして、軍を送り鎮圧に向かわせた。政府の認めるガバナーをおきたかったわけである。しかし、戦術にまずいところがあり、モルモン部隊に結局負けたようだ。これをユタ戦争という。つまり、ブリガムはアメリカと戦争したアメリカ人というわけだ。そのうえ勝ってしまった。

       ブリガムのような男には、異常人のような話しもある。有名な「メドーの殺戮」にもどうやら彼もかかわっていたらしいという、うわさもある。これは森の中の草原「メドー」で起こった事件だ。ユタを通り過ぎていただけのカリフォルニアに向かっていた移住民のワゴンを地元の住民が襲い、120人ばかりの女、子供、家族を殺してしまったという事件である。それも地元のインデアン達に罪をかぶせるため、彼らを前に立て、自分達も変装して殺したという、陰険な殺戮てあった。殺戮の目的はよくわからないが、宗教団体の猜疑心だったのだろうか。ユタ戦争の結末もあいまいで、大統領ブキャナンは結局ブリガムの「罪」を恩赦とした。ブリガムは州知事職を降りるだけで助かった。

       現代のソルトレイク市は、とても裕福なようで、宗教都市、そして、州都、その上世界屈指の銅山がある。それも全部地上の露天掘りで、航空写真でみるとおおきな隕石が街の南端にさっき落ちたような風景だ。その周りを車で走ってみたが、阿蘇山の外輪山の外側の観光みたいである。ソルトレイクでは、金、銀、銅、その他の希少メタル類がとれるし石油も盛大に採れる。おおきな製油所をふたつ見た。名前の由来であるグレート ソルトレイクではそのまま塩がとれる。その塩はアメリカ中のマーケットの棚にならんでいる。ブルーの包装でなんとかソルトという名前で並んでいる。何年か前には冬期オリンピックもあった。大学を中心とした研究施設は世界のバイオ研究の一翼をにない、盛況である。メジャーの製薬会社の研究所もここにあり、先日のスノーデン容疑者問題で有名となった,アメリカの情報機関 NSA の情報管理センターもここにある。街のマーケットの棚には高級食品も並び、なにやら「おおきなうそ」のど真ん中に身をおいたような心地がする。街の芝生は整えられていて、スプリンクラーが水をピシャーピシャーと撒いている。

       宗教の中心である教会の壁には世界地図が彫り込まれていて、世界宗教になろうとする意欲が見える。黒いズボンに白いシャツを着た、スーパークリーンな人々が行き来している。この街では80%以上がその宗教の人々という。教会が正式に禁止した今も、ポリガミーは死んだわけではなく、こっそりとした形で続けている奴もいるという。つまり役所に届け出る女房は一人だけでも、実際には家にいくと、ほかにも女はいるぜ、というやつだ。金持ちならそれでもいいのだろうが、普通の稼ぎの人が、それをやるとすると、一人分の稼ぎで女房は何人となる。女房一人一人の配分は随分すくないなあと心配される。それだけでなく、女達は男にとり、なにやら飼育物となり、こころもとない事である。

       宗教の教えは厳しいらしく、友人でもコーヒー、お茶、ビール、アルコールなど,昼飯のとき注文しないから、「ああ、この人は」とわかるらしい。また随分若い夫婦が子供をたくさん連れているのをみると、「ああ、この人達も」となるわけだ。若い二人だけではとても養育できなくても、なにやらサポートがあたえられるらしい。しかし宗教の規制枠が固いと、それなりにこの街では、統計的に人々のなかで鬱病が多いらしい。楽しさの面で色々規制があるのだろう。はめを外せないのだ。それでも、短所を長所とみれば、自分の人生を自分で全部選択していくより、宗教人である他人とか、神に選択を任せるのは,楽と言えば楽だ。従うのを得意とする人々はたくさんいるのだから。

       何やら、砂漠の街はまがまがしい。まがまがしさのなかで、既成の枠がはずれてしまい、精神のひずみがはじまる。それを閉めてくれる宗教がある。閉めたり、伸ばしたり、広げたり。笑ったり、殺したり。穴を掘ったり、スプリンクラーで水を撒いたり。この砂漠の景色の中、何かを信じたい人々、なにかを信じてしまった人々がいる。ここではまた、国に税を払うだけではなくて、教会にも決められた税を払うのだという。

       この砂漠の大空間の中、人々はだんごになって住み、そのだんごの真ん中に教会を建てる。アリもまただんごになって住み、蟻塚を建てる。そのだんごとなる理由は何であろうか。砂漠は幻想の空間だ。個々の幻想が空に満ち、そしてそのうち個である事に耐えきれなくなり、共同の幻想を求めるようになる。そのもやもやに,にがりを少し落とせば豆腐のようにかたまりはじめ、あら、出来たわ、宗教だわ、、ということになるのであろうか。

       もし聞かれれば、自分の好きな音楽は、アラビアとかモロッコ辺りの音楽だ。ヨーロッパ系は嫌いではないが、なじめないところもある。アラブ音楽のあの、ブルーの砂漠の空の中で「トン、、、」と太鼓が鳴ったような感じが好きなのだろう。その透明性の中にまた、アラブ音楽には、非常にまがまがしいところがある。油断していたら、全部だまされているような感じでもある。もう一度言うと、砂漠の街はまがまがしい。砂漠の音楽もまがまがしい。