チャイナタウン L.A. (ラーではなく、エルエーと読む)

 

走辺憲史

 

              (エルエーとはロサンゼルスの事だ。エルエーの人達はそういうのだ.ロサンゼルスというのはかなりまずい表記で、ロスと言いそれから切って、エンジェルス あるいはアンジェルスと言うべきだろう。字ではそう書いてある。)

 

              自分はかってチャイニーズであった。少なくとも、エルエーに住んでいる頃は、そうであった。食べ物に関しての話をしているのだ。三十年間ばかりそうだったのだ。朝はおかゆが多かった。おかゆも色々なのがありおいしい。昼の麺もなんともたくさん種類がある。麺の種類、だしの種類、トッピングの種類。 店毎にメニューが違っていて、うれしくなってしまう。週末や、友人が一緒の時は、朝も点心にいく。ワゴンが回って来て、うまそうなものがあれば自分でとればよい。これだけのものは絶対自分ではつくれない。夕食は蒸した魚などよく食っていた。材料をそれぞれ別々に買って来て、時間をかけて自分で作ってもとってもかなわないのだ。やはり、プロはなぜかおいしくつくる。 それに外で食べるほうが、マーケットの材料費よりもっと安い。安い、早い、うまい、その上種類が限りなくある。食べにいかないほうがそんみたいなものだ。それで自分もずっとエルエーではチャイニーズをしていた。

              自分の国籍である日本料理は、あまりレストランで食べたいとは思わなかった。払う値段に見合うほどの魅力的な日本料理店はそんなになかったように思う。まあ、寿司とか、ラーメンとかはたまに行くけれど、あまり納得していないぶぶんがあった。ラーメンの後で、チャーシュー二枚おいてこの値段ね、と思うわけだ。寿司のばあい、魚のきれっぱしを少しばかりの飯の上に置いて、この値段ね、と思うわけだ。(すみません。)この値段なら中国式のみる貝の蒸したのに行こうと、思ってしまうのだ。

              エルエーには元々市役所からほど遠くない、(昔のスペイン統治時代の中心地の横あたりに)、かってのチャイナタウンがあった。いまもまだあるから、あったといっては失礼かもしれないが、今あるのはもう名残のようなものだ。名残でない部分はギャラリーなどに姿を変えようとしているが、がんばっても人出はすくないようだ。それでなぜ旧チャイナタウンが没落したかというと、簡単にその立地による。場所が悪いのではない。いわばその反対ともいえる。中心街に近いからパーキング代が高いのだ。おわかりだろうか。昼飯のヌードルは6ドルとする。パーキング代は15ドルとする。そんな所に昼飯のため、車で行く人がいるだろうか。いない。では人はそこに歩いていくか。エルエーで歩く人はいないのだ。エルエーは人の歩ける町ではないのだ。車の町なのだ。嘘だと思ったら、自分で歩いてみるといい。目的地と目的地の間がとてつもない距離なのだ。あるいは広いのだ。『エルエーはどこまで行っても、飛行場みたいね、、』と云った人がいる。ヒューマン スケールではないのだ。

              それで結果として旧チャイナタウンは、まあ、捨てられ、別のチャイナタウンができてしまった。「バレー ブルバード」と呼ばれる。チャイニーズは日本人の「ロサンジェルス」と同じくらいいわば無神経で「バレー」というのが面倒くさいから発音はどうも似ていないと思うのだが「萬利」と呼ぶ。 「よくもうかる通り」という字が気に入っているのだろう。

お気づきのように、ブルバードは大通りであり、タウンではない。そこが笑えるところで、この長大な中国大通りは実に四つくらいの市をつきぬけている。すくなくともチャイニーズ達は、過去何十年間だけの時間でその通りを、四都市分は占拠してしまったのだ。それはどのあたりから始まるか。西はアルハンブラ市あたりからで、サン ゲーブリエル市、ローズミード市、サンタ アニータ市へと続く。それぞれがロス アンジェルス カウンテイ内の都市である。

(ロス アンジェルス市というのもカウンテイ中にある)

              バレーブルバードは東西に、サン バーナーデイーノ フリーウエイと平行して走っている。旧チャイナタウンからこのフリーウエイを西に走れば、15分くらいで着く。フリーモント通りの出口で北に向かい出れば、そのあたりからはじまる。アルハンブラ市は名前の由来であるスペインのアルハンブラ市にあやかり,みょうな白い大きなゲートを建てた。ここまでくると、もうあきらめてチャイナゲートでも作ればよかったのに、チャイニーズからの寄付が少なめだったのだろうか。そこから東に向かってあるけば、(車で走るほうが正常な人のすることですが)右も左も、漢字のサインが並び始める。日本のオフイスビルのような、めだたぬ品のよい漢字の字体ではない。まわりのノンチャイニーズがあきれてしまうあれだ。ここからすでにヌードル屋、チャイニーズグラフィック ショップ、ベトナム料理、タイ料理、チャイニーズバンク、お菓子屋、ワンタン工場、なにやら、なにやら、出始める。超弩級市場はスーパーマーケットであり。なになに中心というのは英語のショッピングセンターのセンターという意味だ。牙科というのは歯科医の事だ。牙をみがいてもらうところだ。女も男も牙は磨かなくてはならぬ。家具屋ではとても現代ではない、デコラ家具がわんさ。それでなければ、ふるさとのゴージャスで固めた、石で彫ったビッグドッグ、紫檀のでこでこ、人の背丈ぐらいの黄色の線で描き込んだ壷。ブルーの線でこれでもかと描き込んだ大壺のむれ。人手さえ盛大にかかっていればゴージャスは間違いない。つまり、わかりやすい。

              現代アートは展覧会が終われば、なにかゴミでしかないというのが多い。それに、現代アートは思いつきも、施工も「あさきゆめみし」でなにかうす味だ。こちら、ふるさとのゴージャスには、時は経てど人手だけはかかっているという安心感がある。人手こそ永遠だ。

金は、この永遠のほうに使う。「汽車修理」とあるのはもちろん、蒸気機関車の修理ではなく、車のリペアー。中古汽車の店も並んでいる。金のある人は見せなくては無意味らしく、BMW,  ベンツ、ポルシェ等、見たらすぐわかる「高いのね」という高級車が並んでいる。ここは車の町ロスアンジェルスだから、実際には中古車はそんなに高くはない。みんながすぐに乗り換えるからだ。みなさん命がけでいい車にのっている様子でもある。それで、結構まずしい家に帰っていく。あるいは普通の家に、なにかそぐわぬ車がつけてある。ただ、この際まちがっていけないのはこのバレーブルバードのすぐ北のほうに、高級住宅地サンマリノ市もあるのだ。そこには本当にリッチなチャイニーズもわんさといる。そこからの高級車も来ているから、実にわかりぬくい。概してオリエンタルは若く見える。「なんだあの高校生みたいなのがポルシェで、、」とおもったら、サンマリノ市の豪邸に帰って行く若奥様だったりする。まあ、ここは国際都市、上をみればきりがなく、下をみてもきりがない。みんなそれぞれの立場で、日々、生存と繁栄をやっている。

              サンマリノ市が高級住宅街と発展したのは、例のヘンリー ハンテイングトン氏という鉄道王が広大な邸宅を構えたあたりからなのだろう。15万坪ばかりの邸宅は、今はアートの美術館、稀覯本のライブラリー、大庭園、植物園として公開されている。70人ぐらいの庭園師が常時働いているとか。ライブラリーは漫画とか、レコードのおいてある市民ライブラリーではなく、チョーサーの「カンタベリー物語」とか、シエークスピアの原本とかを収集してある、そんなライブラリーである。そのお隣は、ヨーロッパ戦線でアイゼンハウアー(後の大統領)とならび勇猛さで名を馳せたジェネラル ジョージ パットン氏の家。そういえば、パットン氏の家も今はオーナーはチャイニーズ。なにかいやな世の中ですね。

(パットン氏がヨーロッパ在住当時住んでいた邸宅がベルサイユ宮殿のとなりにあったのを、今、思い出した)

              それで、あれからたいして時間はたっていないのにサンマリノ市も、バレーブルバードもこんな具合になり、ヌードル屋がつづいている。漢字が続いている。チャーシューが匂っている。湯気が屋根から出ている。ちゃーちゃーぱおぱおと、外国語が聞こえる。飲み物がタピオカミルクテイーとなり、店のかき氷にあずきが入っている。あずきの上にコンデンスミルクもかけてね、、となっている。そして、オイスターソース、ごまあぶらが匂う。三人がヌードル屋で成功する。そうすると次の三十人が同じ事をする。そうすると次の三千人もヌードル屋を開く。そうして、バレーブルバードが続く。バレーブルバードの盛んさを見ると、ここもまた別の風が吹けば、チャイニーズの代わりに、もっと盛んなねずみさんたちが仕切っているだろうとか思ってしまう。めくり暦のあわれさだろうか。チュンゴワ盛衰記,そんな風景もかなたに見えたりもする。

 

              昔アメリカが好きでない頃、(ベトナム戦争とかやっていました。)どういう理論の展開か、すこし中国語を勉強した事がある。大学で中国語を教えていたのはなんのことかペルシャ人の先生だった。あごひげをみていたら雪舟のだるまの画みたいだった。その頃、大国のあやうさを戦争を続けるアメリカに感じていた。あるいは国の軽さ,些少さだ。国も砂粒に消され,呑まれていくわけだ。井上靖の西域物の世界だ。民族、国が滅びて、砂の原が続く。