辺境の人生 ホームレス

 

走辺憲史

 

           フランスが植民地とし、 日本も一時占領し、フランスの統治がガタガタになった時、「フランス人あほか」とアメリカが乗り出し、ながい不幸な戦場となったベトナムという国がある。「あほか」と言った以上、勝つのかと思ったら、結局アメリカも戦争に負けた。相手はボロを着て、古タイヤで作ったサンダルを履いた、細くてたよりなさそうなベトナム人民だった。ジャングルの人民は強かった。その強かった理由に、近代の贅沢を必要としなかったベトナム人民は、たとえ毛布一枚ででも、生活出来たという事がある。年に何度でも穫れる米の飯にニョクマムでもかけ、おいしいネズミ,魚等食いながら、いつまでも戦えたという。戦争にも大型冷蔵庫を運んでいって、ピッツア,ステーキ、コカーコーラ、ビールがたっぷり無いと力のでないアメリカ兵とずいぶん立場が違っていたわけだ。アメリカ人が歩いた後は、ジャングルにその体臭が残ったという。食べ物から体に残った匂いだったのだろう。サイゴンが陥落し、逃げ惑うアメリカ軍団は実に見苦しかった。

           質素なベトナム人は世界一の大火器,大軍団、大戦費より強かった。これはアジアがプアーだったという話しではなく、たおやかなベトナムの人民性と、軍事国家アメリカの非常識さ、独りよがり,無知国家の敗退ということであったのだろう。そこにいるベトナム人を全部殺してしまわない限り勝てない戦争というのは、もう戦争ではなく殺戮である。いくらアメリカが無知国家でも、そこまでの事は出来なかった。撤退しか答えは無く、実際には戦闘においても負けたのである。国家としてのアメリカは世界に恥をさらした。そのうえ随分貧乏にもなった。戦費が当時の金で一日百万ドルを超していたという。だが、笑えるのは、アメリカの歴史をみると、そこでもまたシンプルで働き者、荒くれていても,明るく、常識を持って生きて来たふつうのアメリカ人が、アメリカの国力の基礎をつくっていたのだ。質素で強い普通の人々が、その国力を作った。人々の上に立つ、テクノクラットの貢献ではなかった。

          

           ベトナム戦争後、だんだん貧乏になっていったアメリカでは「ホームレス」というのが現れるようになった。「こじき」とでもいえばよいのに「ホームレス」,つまり「家なし」である。家無しといわれても、隠れ家が段ボール何枚かで作ってあれば、それはそれで家である。南太平洋のヤシの葉の家と、段ボールの家と、財政的には同じレベルである。どちらもまあ只である。アフリカのように両手で泥をこね、だんだん重ねて、おおきなおっぱいのようなものを作って住んでいても同じである。値段はほとんど只である。只の家に住んでいるからといって、「ホームレス」と呼ばれる筋合いは無い。もしも段ボールハウスが公園にあり、これは土地を持たない人の家だからというのなら、其の時は「ランドレス」であって、決して「ホームレス」ではない。 「ホームあり」だ。

           つらい話しをすると、今のアメリカの六十代以上の老人ホームレスにはベトナム戦争経験者が多い。それも当時は立派な体にりっぱな軍装をつけた、ベトナム人とは歩きかたから違う、さまになる軍人達であった。若くて力もあり、腹をたてたら、そのあたりの子供くらい片手でプッチンと殺せるくらいの兵達であった。だが体はでかくても、人の精神はそんなにでかく出来ていないのだ。片手で子供をプッチンと殺してしまったそのメモリーが,その手に住み着いてしまったのだ。帰国後、自分の子供を抱いても、あの時プッチンしてしまった手がうずくわけだ。アメリカ中で不人気であったベトナム戦争である。帰還兵が「よくやった」と褒められることはなかった。この男も多くの村民を虐殺して来たのかという暗い疑りの目は社会にあった。仕事場でジャングルを見てこなかった人々とうまくとけこめるとは限らなかった。兵を迎える家族、親戚の目も、全員が暖かいとは限らなかった。帰国後、なぜか浮いてしまった。 そのうち、定職につけない帰還兵達に家族の目も厳しくなる。 心が無宿となった。多くが戦時中身につけた、ドラッグ、アルコールへと沈んでいった。そしてある日、誰にもいわず,家を出ていった。

           今より、もっと楽しい生活を求めて、ホームレスになった人は少ない。どちらかというとスリップアウトだろう。だが皆が暗色の生活をしているわけではない。音楽の才能のある者は、ギターとか、トランペットでも抱えてあるく。野菜造りの好きな者は、そのあたりに種を植え、欲しい人に配って歩く。水辺が好きな人はあのカヤック老人のように、水上ホームレスをやっている。車が好きな者はどこかに乗り捨ててあるような車を拾って来て、直せない事も無い。まあ、そこまでいかなくても、安酒を口に含めばその日はたのしい。酒と仲間がいれば、ばかも言い合える。自分の長い間住んでいたロスアンゼルスも、年中暖かい所で、ホームレスにとっては最優良地であった。ロスアンゼルスには巨大なスラム街がある。そして、巨大なチカーノタウン(メキシコ人街)もある。そのどちらもドラッグデイラーや、ギャングに支配されているため,ホームレスには住みにくい。チカーノタウンには又、向上心に燃えたメキシコからの貧乏人がいる。朝、暗いうちから働きにいく彼らのそばは、ホームレスに居心地はよくない。かといって中流住宅地にはポリスの見回りが多く、やはり精神的に結構ではない。結局、古い工場街、すてられた商業地区のはずれとか、ロスアンゼルス ダウンタウンの周辺部とかに,イワシのように群れをなして寝ている。同じ路上に何十人と寝ていれば、もしも、殺人を趣味とする男がナイフを忍ばせて来ても,同時に20人の喉は切れないだろうという、数による防衛である。そういった街角には警察もあきらめて、移動トイレも設置してくれるし、公園の水道も壊れたらすぐになおしてくれる。

           ホームレスでも少しの所持品はある。多くはマーケットから拝借してきた、ショッピングカートを利用している。毛布、防水シート、寝袋,外套、ワインのコレクションとか積んでいる。女のホームレスの場合はこれを呼び名として、ショッピングカート レデイとよばれる。多くは自己防衛のためか、男以上に汚くしているから、あまり女とは気づかない。ロスアンゼルスも、ダウンタウンであれば、レストランも多いから、何やら拾う事もできる。六番街辺りには中央野菜市場もある。レタスの外側等、食いきれないほど捨ててある。そのうえ、野菜用の、ろう引き防水の段ボール箱もいくらでもある。よい家が作れる。テントの下に木の床が欲しければ、貨物用パレットも山にして積んである。しかし、何もかも都合の良いカリフォルニアも,少しは寒くなる。冬もあるし、たまには雨も降る。まあ、そんな時は高速道路の橋の下とか、どこかに潜り込むより仕方ない。現金のためにはどこかで手を出してものもらいをしたり、空き瓶、空き缶でも集める。4、5ドルもあれば一日を超せない事は無い。ロスアンゼルスにもホームレスのためのシエルターもある。ベッド一つと食い物くらいはくれるから、いけば楽と思えるが、問題はアルコールも駄目、タバコもだめ、あれもこれもだめと、どうしてもルールがある。それで、一度は行った人々もすぐに舞戻ってくる。生活は変えぬくいものだ。元々、あれこれ言われたくないからホームレスになったのだ。

           あたたかいロスアンゼルスと違い冬が長く雨の多いシアトルとか、カナダのバンクーバーとかでホームレスをやるのはどうなのか。ずいぶんつらい事のようにも思えるが、基本を習っておけばそれも結構可能のようである。どういう事かというと、春から秋にかけてのバンクーバーは世界でも最も美しい都市の一つである。回りを水に囲まれ、深い森があり、風光明媚な所だ。ホームレスにとってもその景観の地で春から秋を過ごすのはすばらしい。まるで高級リゾートでの生活である。どこかに身を横たえるほどの穴(森の中とか)を見つけ、ビーチで一日ギターでも弾いているのは悪くない。ロスアンゼルスのようにギャングのなかで生活するのと大違いである。眠るとき、次の朝まで自分の生きている可能性が随分高くなる。もう一ついいのはバンクーバー市が、町を空き瓶空き缶で汚させないためにそれらを買うとき10セントの余分を店で集めている。つまり空き缶をゴミ箱から拾い10ほどマーケットにもっていけば、Ⅰドルのキャッシュを返してくれる。1、2時間で100集めれば、10ドルとなり、その日は楽に暮らしていける。ロスアンゼルスでは100集めても、アルミリサイクルで50セントもくれないだろう。

           それでは一番の問題である、バンクーバーの長い冬の間はどうするか。それに対しては、寒くなる頃に、ちょうど4、5ヶ月刑務所に入れてもらえるくらいの犯罪をすればいいわけだ。具体的には何と何、とあるのだろうが、たとえば、公園のライトに石を投げて、壊してしまうような事だろうか。それで冬の間は三食、昼寝つき、暖房つきのきれいな刑務所に入って、ついでに悪かった歯の治療等やってもらう。歯が痛いと騒いだら、刑務所も放っておくわけにもいかないわけだ。それで春になって体も健康、天気も回復と,心さわやかに出てくるわけだ。勿論バンクーバーにも市のシエルターがあるのだが、そんな所に行くと、生活指導をされて、それはたまらんとみんな回避するわけだ。誰も生活指導されたくないのだ。刑務所の方が色々な意味で、シエルターよりもっともっと待遇が良いのだ。

           見えぬ端の方の人生にも、ゆずれぬ方針がある。こちら側から見ると、来月の家賃をどう払おうかとつらい仕事にしがみついている普通人が、いかにもかわいそうに見える。一度抜けたら、楽になるぜと、同情心がふつふつ湧いてくる。人は生き物だからいつかは病気にもなる、しかし、病院で三回切り刻んでもらう金があったとて、その次の年にはどうせ死ぬのだ。それなら切ってもらわない方が随分楽だ。病のとき木の下の穴蔵で寝ているのはつらい。しかし、となりで鹿とか、熊が同じように身を隠している。そして、病に苦しんでいる。そして、時がくれば往く。何も人とて動物達と変わりはないわけだ。当方も森の中の獣道をたどって、我が穴に帰る。元々、鹿の家族が生活していた穴を借りて生活しているのだ。間借り人の方が、家主よりよい生活をしているというのは、世間の常識にはない。

           君の遺産にしか興味の無い家族、そろそろ家に帰りたいと、いらいらしている医者に見守られて死んでも別に楽しくはないだろう。この夏の海を見ながら、なにか自分の知らなかった病で、ある日ころりと逝けるとしたら、それ以上のことは望めない。〔この世からの脱出計略〕[EXIT STRATEGY]は色々考えたが、まあ運は天にまかせる。その時までは、この美しい海を眺めている。波の動き毎に、陽の光が輝いている。