女達のミニキャンパー(ハイウエイの人生)

 

走辺憲史

 

              「遠くへ行きたい」という歌があった。誰の歌だったのか。永六輔さんだったか。

「知らない町へ行ってみたい、どこか遠くの知らない町へ、、、」という歌詞だった。

何か間延びのした歌だったが、(すみません中村八大さん)言葉には誰もがうなずくような気分が込められていた。人々の普通の生活の中、日々のしがらみの中、これを抜けてみたらどんなものだろう、どこか遠くには自分の知らない大きな青空がひろがっているのではないかという、そんな気分をこめた歌だ。

              それは女達、男達、子供達も、誰もがどこかに持っている感情だろう。特に日本は 島国なので、またほとんど単一民族国家でもあり、文化的閉塞感も大きいのではないか。ああしなさい、こうしなさい、受験しなさい、学校に行きなさい、結婚しなさい、スカートが長すぎますとか、そのソックスないんじゃない、とか制約が多いようだ。いい歳をしてまだ独り身でとか、あなたの事が心配で、とかいう。女達が結婚しても、家庭というのは何かちんまりしていて、台所で大根を刻みながら、ある日突然、「ここを出よう、、」と思う事もあるだろう。自分は底の抜けたような、いつまでもガキ大将のような,風通しのよい男が好きだった。それにつけても、うちの亭主は、あれは耳かき男だ。小さな事ばかり、うじうじ気にして、小心を鼻先にぶらさげて日々生きている。あんな男といつまでも一緒にいると自分も耳かきになってしまう。自分は耳かきの女房になるために生まれて来たのではない。 どこか遠くへ行こう。

              アメリカは大陸国家だ。この国だけでもずいぶん広いけれど、北に行けばカナダもある。

南に行けばメキシコ、中米、南米とつながっている。南米の南端、プンタアレナ(砂の岬)まではずいぶんある。自分の住んでいる家の前には、地平線まで続くひろいハイウエイがあり、いつも車が高速で走っている。ひとびとは動いている。なんの因果で自分はこのまぬけ亭主と、このまぬけ暮らしをしているのだろう。このまぬけ亭主は、つぎの女に託そう。そうすればこのまぬけも一年ばかりはしあわせだろう。つぎの女だって一週間くらいはしあわせだろう。

              君たちはハイウエイの住人、あるいはオープンスパースの住人から見た都市、町というのを知っているか。地図を一度見れば明瞭なように、町とは100マイル毎にある、まあ、小さなイボのようなものだ。イボにはイボ虫が住んでいる。こちらから見るとイボは線上の飾りだ。あまりリアリテイがない。なにやらうそっぽい小世界だ。自分もまぬけ亭主と一緒になる前は四、五年間ハイウエイの住人だった。ハイウエイの男達は結構やさしかった。浮遊し過ぎて中身が消え、薄い幽霊となったのもいたが、まだ、人世界に生きている男達はやさしかった。

 

              いったい何の話をしているかというと、この間、女クラブに行ったのです。アメリカの

女達で作っている、ミニキャンパーのコレクター達、ミニキャンパーの使用者たち、

その人達の同好会があった。 それも、アンテイークキャンパー。どこかに行っている人たちの会だ。写真を見ていただいたらわかるように、ここは女達の世界だ。キャンパーのドアには

ロングスカートのシルエットが貼ってある。帽子をかぶってセクシーだ。キャンパーの中はそれぞれ実に細かく、好みにまかせてかざりたててある。現代の男達のマチョ キャンパー(じつにばかでかい)とちがい遊び心でいっぱいだ。自分たちの行った場所の記念となるもの、好きな小物、好きなベッドカバー、ぬいぐるみ達、ウイスキーやジンのコレクション。その他、その他。自分たちの気に入った文言もあちこちにかけてある。そのひとつには「神はまず人(男)をつくり給うた、そしてそのあと、もっといいアイデアがうかんできた」

つまり(女)をつくり給うた、、という意味だろう。男というのは失敗作というか、

試作品として成功しなかったほうだ、いう意味らしい。別のトレーラーには「人生あんまりまじめにやってもだめだぜ、どうせ生きてここを出れるわけはないのだから」というのもあった。

              女たちのミニキャンパーには皆、名前がついている。一つには Vintage Chick と書いてある。Vintage wine という言葉があるように、Vintageは古くて価値ある物、Chick はひよこ、かわいい女の子という意味だ。自分の事をいっているのだ。ビンテージキャンパーにいるのは、ビンテージチックなのだ。ひとつのキャンパーは Bandid Queen,  盗賊達の女親分という意味だ。男は従えるものだ、なめたらあかんぜ、といった風合いだ。クイーン様に興味はないかという宣伝でもある。クイーン様のひざにひれふしたくはないかというお誘いでもある。もうひとつの Sweet Annie’s Salon  というのが実にかわいかった。サロンは客間という意味もあるけれど、ここではバー、あるいはラスベガス式に男性を迎えるビジネスの意味だ。なかはシルクサテンの華やかなベッド、天蓋、花瓶にローズ一本ベッドの上においてある。女のたしなみなのだろう。男達をクリーンアップするためにサイドテーブルには洗面器もおいてある。男達が間違った事をしないように、壁にはリボルバー (連発銃)がふたつ掛けてある。そして自分の着替えを見せるためのブルーのセクシードレスがバスルームのドアにかけてある。酒類もきれいに棚に、トレイに載せてある。よい、よい、なかなかよいではないかという、納得させる環境造りだ。勿論、男達を楽しませる事は、自分たちを楽しませる事だから、時に応じて、実際に使っているのでしょう。

              ひとつのキャンパーの入り口にはカウボーイの衣装をきた,マヌカンが置いてあった。

なかなか色っぽいおねえさんだ。自分が外にたっているより、このほうが目立つ。じぶんはもう歳だから、なかでゆっくり昼寝でもしている。マヌカンに惹かれてくる男でもあれば、キャンパーの中はすこし薄暗いから、女は女だから、少しの我慢はしてくれるだろう。西部の女達は正直で、すなおでかわいい。歳くっていてもまあかわいい。そんな風のメッセージに満ちた、キャンパー協会でした。

 

さてデザイン的にこれらのミニキャンパーをみれば、どうなのでしょうか。工業製品なのに、あるいは工業製品だったのに、こうして時がたてば、なぜか非常にヒューマンになり、なつかしい。自分の育ったカルチャーではないのだが、まあ、いいではないかという気になる。プロ達の技の結晶である、ポルシェデザインとは、別世界だ。クールの反対だ。クールの反対は何か。「ゆるい」か。 「笑える」か。