寒山、拾得 (森鴎外著)

 

 

走辺憲史

 

              森鴎外の「 寒山、拾得」は確か高校生の頃、始めて読んだ。その後折りにふれ、

何度か目を通した。そしてまた近頃,何度か読んでみた。なにしろ鴎外全集の中でもほんの10ページばかりの小品であるし、暇なときちょっと読むのにちょうど良い具合のサイズである。

              しかし、これほど何度読んでも、全然何の事やらわからない本というのもめずらしい。

言葉が難しいのではない。この本では鴎外の言葉は大変明解であり、テンポも非常によい。まるでうまい噺家の講演でも聞いているようになめらかである。それで、軽くつきあえる。その結果として,今まで何度も読んでいる。それでも、ストーリーが全然わからない。こんなに、何度も読んでも意味不明、という本があるのだろうか。それで、これは全然わかりません、ここがわかりません、という書評を書いてみる。

              ご存知のように7世紀の唐の話しである。閭という科挙にうかり 台州の地方長官、主簿となった男が、新任の地で豊干という僧に会う。その縁で天台山の国清寺に 寒山、拾得 に会いにいく。 豊干は帰りぎわ閭に、寒山は文殊菩薩で拾得が普賢菩薩だといった。 国清寺に着いた閭は、寺の僧の案内で、寺の廚に案内される。 拾得はその廚で食器を洗う仕事をしている。寒山はその洗い残しの飯をいつも貰いにくるのだという。廚には痩せてみすぼらしい小男,髪をもじゃもじゃにした男が二人、火に当たっていた。これが寒山、 拾得だと紹介される。 閭がこの地の長官であるなになにであると挨拶をはじめると、ふたりが顔を見合わせて大声で笑い、「豊干がしゃべったのだ」とかいって駆け出して逃げていく。ストーリーはそれだけである。これをどう理解すればいいのだろう。

              一つの推測では、 閭は俗人というか、コメデイアンというか、凡俗の人なのだろう。寒山、拾得は禅の世界の別チャンネルの人間なのだろう。そこで凡人長官が手のこんだ挨拶をはじめたので、ふたりのガキンチョみたいな 寒山、拾得はがまんできなくなって、笑いながら飛んで逃げていったという事なのか。

              それとも鴎外は、寒山が噂あるいは伝説どうり文殊菩薩で、 拾得が普賢菩薩だったという仮定でこの話しを書いたのだろうか。俗世の成功者の挨拶を聞いていて、菩薩たちはやはりおかしくてたまらなくなり、逃げてしまったということなのか。しかし、菩薩というのは仏世界の重鎮である。あいてがいくら俗物でも、笑って逃げていいものなのか。それほど 閭が陳腐であったのか。そうであったとしても、笑う事はないではないか。人はみな俗物なのだ。ほとんど仏たる身分の菩薩が笑ってはいけないのではないか。

              あるいはこれは数ある、禅噺の一つなのだろうか。脱世間の禅坊主達は、世間そのまんまの閭とはすれ違うしかないということか。しかし脱世間の坊主達だって、世間の人の生産した残り飯を食っているわけだ。世間のあほが一生懸命挨拶しているのに,笑って逃げる事は無い。僧としてはなにやら挨拶を返してもいいはずだ。それとも笑いとばすのが挨拶だったのか。それは修行者の身勝手ではないのか。傲慢と見えなくもない。

             

           作者の森林太郎さんは、この話しの主人公である閭以上の秀才であったそうである。昔の科挙程度の教養ではなくて近代科学,医学も身につけていた。東大卒,医学博士,文学博士、軍医総監、日本美術院初代院長、三つの帝室博物館(国立博物館)を束ねる総長などであったという。その彼が同僚達にいただろう下品、出世主義,俗物である明治の官僚達をみて時に不愉快を感じていても不思議ではない。彼は森鴎外としてではなく、なんとか村の(津和野だったか)森林太郎として葬られたし、とかいったという。その彼の立場から見ると、この閭の話しは簡単に、世間で尊敬をうける高官といっても、台所の皿洗いや、その友人のめしもらいより、凡俗な者だという理解だけでよいのかもしれない。勿論、明治維新が可能であったのは,歴史上著名な維新のスーパースター達のおかげだけではなく,私財を蓄えようとしなかった日本のクリーンな官僚達のおかげであるという意見もあるのだが。

 

              どちらにしろ、自分はこの本を何度も読んだがどこで感心していいのかわからなかった。どこで笑っていいのか解らなかった。なにが言いたいのか解らなかった。それで「全然わからん」という書評を書く事にした。ちなみに絵で描かれる時は、寒山、拾得二人とも蓬髪で寒山は巻物を手に持ち、拾得は帚を持つという事になっているそうだ。 寒山、拾得の絵を何点か見た事があるけれど、どれも絵では不気味な顔をして笑っていた。どれもほがらかな顔には見えなかった。あれは絵描きが下手だったのだろうか。