老人と海  (海辺の風景)

 

 

走辺憲史

 

              今,自分は引退している。田舎に住んでいる。大都市で40年ばかり壮年期を過ごした。街にずっといてもよかったのだろうが、どうせ自由業だったので、街にいたら同じ生活が続くわけだ。すこし、状況を変えようかと田舎に移った。体力も別に衰えてはいない。時間もある。物事に対する興味もあまり衰えたわけでもない。引退という事は経済活動をやめ、あとは寿命まで勝手なことでもやりましょうという時期である。その勝手なことのリストは結構たくさんあるのだが、そのひとつは舟を作ったり,乗ったりしようという事だった。

              しかし、人生はかなり皮肉に出来ている。世の中が不景気なのだ。ヨットハーバーに舟を係留する費用を出すのがつらくなった人々が増えた。それは毎月のコストなのだ。まだまだ、りっぱな舟が、ヨットもモーターボートも随分安く売られている。あそび舟の所持者達が、所持する負担に耐えられなくなっている。なにも舟を一から作らなくても舟は世に有り余っているのだ。嫌な時代といえる。舟を何艘も自作してきた者としてはなさけない状況だ。舟の完成品の方が材料費よりやすくなってしまったのだ。舟用の樹脂を一缶、1 ガロン買うだけで100ドルする。10ガロンは使っているデインギー(最も小型のセール舟)を500ドルで売っている。勿論中古艇であるが、それがぼろではないのだ。けっこう程度がよいのだ。一日、二日手を入れれば、まるで新品同様になりそうなしろものだ。 マテリアルワールドの終焉みたいである。

              自分にとって移りゆく経済以外の皮肉がまだある。 引退後は嫌になるほど舟に乗ろうと思って、この島に居を定めた 。しかし住んでみれば、若い頃見ていたこのあたりの観光ポスターと違い,(美しい島と島の間に50フィートくらいのヨットが泊まっている)実際にはこのあたりの内海ではあまり風がふかないのだ。これでは大型クルーザーを手に入れても帆ははらないで、機走することになる。結果として、今は若い頃軽蔑していたような、なさけない小舟で、少しばかり沖に出るだけだ。風で走るヨットも持っているのであるが、一度も水に降ろした事が無い。陸上で手入れしたり、みがいたりしているだけだ。ワックスをかけるためだけのボートだ。風はカナダ国境近くまで行かないと吹かないようだ。勿論,地図をみればわかるようにほとんど内海だけ通って,アラスカまでいける。しかし風の出るあたりまで何日かかるのか。なにやら、ボートに関して言えば、しょぼけた老年である。

              しかし,完全に悟ったわけではない。諦めたわけではない。「ただでいいから、持っていってくれー」というボートの掲載を見ては、これをもらってきて、なにやら不思議なボ―トを作りたいという気はまだある。例えば,家としてのボートである。作り変えるわけだ。それで毎日ではないが、時々、そういった宣伝に目を通している。どうやるかというと、ボートを売りたいという広告のなかに、値段はどこまで払えるかという項目があり、そこに10万ドルまでとか,大きな事を書かないで、千ドルまでと,慎ましく記入する。そうしたら只から千ドルまでの舟がいくらでも出てくる。驚くほどである。

              ここの内海がだめならと、別の考えも繰り返し巡り来る。日本の瀬戸内海に小舟を浮かべ,あちらの港に入って、イカ飯を食い、こちらの港まで行って、そぎイワシの新鮮なやつをくってみるのもいいか、とか思う。広島,廿日市に舟をつけ、目の前の浜で捕っているアナゴの素焼きを買って来て、アナゴ飯を作ろうかとかいったプランである。あまり大汗をかくような航海ではなくて、港めぐりの昼寝のついでみたいな航海である。さっき港を出たのに,もうついたの、、といったような航海である。あんまり労働はしたくないのだ。それで、 今度、 今治で安い舟が売りに出たとかいう情報にはちゃんと目を通している。

             

              だれか一緒にやりますか。内海だから遭難の心配はありません。あまり揺れません。あまり労働はありません。舟だから宿賃もありません。帆かけ舟だからガソリン代もありません。食費だけです。三食自前、昼寝つきです。食費は自分の年金から出して下さい。四国遍路よりずっとらくです。お望みならついでに四国を一周してもいいです。遍路で歩くより楽です。自分で四国全部歩くと,足にまめができます。この方法では歩かなくてもいいのです、それでも不足ならフリーの地酒つきにします。舟の名の入ったおそろいのふんどしも差しあげます。港でなじみの女が出来たら、そこで降りてもいいのです。ふんどしはキープ出来ます。もしも高松で養老院に行く事になればそこで降りてもいいのです。救急医療は第六管区のヘリコプターが来てくれると思います。だがまあ、舟のうえで「あらー」と、突然事切れるのもまたよしかとも思います。その場合の葬儀費用は含みません。質問はメールでお願いします。

             

              しかし,老人というのは自分達だけの愉しみだけで舟に乗るというのはすこし片手落ちでもある。自分が子供の頃,村の年寄り達にいろいろやってもらったように、老人は若い者の事をそれとなくめんどうみるという役目もある。それとなくである。航海はミックスグループがよいかもしれぬ。引きこもり,登校拒否、愛情不信、のガキ共も乗せてもよい。特別サービスは何もしない。何も教える事等ない。共に漂うだけでいいのではないか。迷える中年も同じくで、みんなで海に出る事はいい事だろう。自分の人生をいじけて過ごすのも、笑って過ごすのも本人の勝手であるが、だれも観客のいない海の上ではいくらいじけていても、なんのかいもない。そういう事だと、海が教えてくれるのではないか。卑怯だけしか知らず生きて来た子供達も,そんな事を海は許さないだろう。稑と同じ様につまらぬ演技を続けようと思っても海ではステージが違うのだ。

              海の上では何もしなくても腹が減る。 野菜一口食っても、それは海には無いものだから,はじめて感謝のこころが出てくる。野菜は稑の誰かが手をかけて育ててくれたものだからだ。海には陸上にはない生活がある。親離れ,子離れ、会社離れする機会がある。 人間関係で傷ついた者も自然のなかでは、苦情もあほらしとわかるだろう。いくら苦情を誰かにぶっつけてやろうと思っても,そこでは太陽が明るく照っているだけだ。舟端を小波がぱしゃぱしゃ叩いているだけだ。老人に出来るのは縄はこう結ぶ。もやいはこう解く。帆はこうたたむとかシンプルなことを示すだけでよい。 若い者の悩み事なんぞ聞いてやる事は無い。聞いてやるほどの立派な悩みを誰がもっているものか。潮風に晒されているうちに、ごく並でしかない悩みなどは細っていくだけだろう。海から見た稑は、時に遠く見える。そこでのいざこざも、家族関係等も遠くに見える。

              自分が子供の頃一緒に遊んでいた老人達も、あまり口数はおおくなかった。自分の人生経験など話すやつはいなかった。ただよく日に焼けた皺のなかに、なにやら刻まれているようにみえた。ただ、魚をとってきただけの人生だったのかもしれぬが、シンプルでも、そこに何らかの力が隠れているように見えた。知識ひらひらのおしゃべり男達より、信頼感があった。知識の先行する社会より、知恵のほうが重きをなす、あたりまえの社会があった。