スタジオを自作した (森の中の人生)

 

走辺憲史

 

               昨年、手造りでこのスタジオ/仕事場を建てた。二年前にまあ,仮の引退のようなことをしたわけだ。前からここの森に土地は買ってあった。ここに定住する予定ではなかったのだが、ぐうぜん隣の土地も買い取る事になった。そうすると土地が海までつづいてしまった。すてきになったわけだ。しかし、リーマンショックの後で、世の中の景気はわるい。それで,住処はちょび、ちょび、と段階的に作ることにした。それも出来るだけ,自作でいこうというわけだ。なにしろ住んでみなければ、なにも様子がわからない北国でもある。建ててみないとコストもわからない。コストは懸命にコントロールしなくてはならない。

              この場所はシアトルに近いところだ。内海に浮かんでいる島である。カナダにも近い。今まで住んでいたカリフォルニアと違いずいぶん寒い。ずいぶん寒いと言っても,雪は年に何度かだけ降り、しかも,膝まで積もる事はほとんどない。また冬の間、庭の芝生は青々としていて、黄色く枯れるわけではない。芝生を見ていれば,全然、寒い所ではないようで、不思議なところである。みかんの木も育つ。

              自分は瀬戸内海の島で生まれた。いなか育ちだから、森から木を伐って来て、家等建てるのはなんでもない。昔の日本の大工はそうしていた。自分の家の森に行き、適当な木を伐ってくる事からはじめていた。昔の人は、森の木をみる技術もあったのだ。自分はその頃子供だったけれど、大人達のやっている事は全部,目で盗んでいた。あいつに出来るのなら,自分にも出来るという事だ。田舎のうちの家も、うちの山から木をきってきて、つくったそうだ。後に建てられた叔父の家もおなじプロセスであった、その時は最初から,最後まで、自分も見聞した。小学校に入る前の頃だ。棟があがったとき,棟の上からの餅まきには自分も参加した。紙に包んだ紅白の餅をまいた。

 

              それで今回のプロジェクトを少しお話しする。日本での建前とかなり違うところがある。一つは建築許可のプロセス、また一つは、インスペクターとの関わり、また一つは、徹底した、省力化とかだ。スタジオは二階建てで、下に車二台分のガレージ、ガレージの裏側に,簡単な台所、風呂、シャワー、トイレなどのついた、客用のゲストハウスがある。一階に少しばかりのロビーがあり,二階に上がれば天井まで、高い所で4メートルばかりのスタジオがある。長方形のシンプルなもので、10m X  12m くらいの大きさである。住む家は別にこれとは離れていて、前からある。その他,20フィートのコンテナを二つ買い、一つが道具小屋,もう一つが図書室になっている。その横にポエトリールーム,(詩を書く部屋)という小さい書き物をする建物がある。これも手造りだ。田舎だから,ほかに、庭仕事の道具とか芝刈り機が入っている小屋もある。これはガソリンの入ったチェーンソーとかでくさいから、別の建物だ。野菜用の温室もある。次に作りたいのはボート小屋である。町の人には作業小屋の必要さ等わかりぬくいと思うが、日本にあるうちの田舎の家にも,十畳ばかりの木小屋,それに味噌蔵、ヤギの小屋、農作物貯蔵庫、あれやこれやもっとたくさんの建物があった。藁小屋,みかん小屋もあったし、とうふ,こんにゃくをつくる広い部屋もあった。木小屋には時々梁の上にへびがいた。

 

              先ず自作の内容の実際について話す。手造りといっても人目があるので、こっそりと建てたわけではない。設計図,構造図面、構造計算、配線図、造成図とか、十枚ばかりの図面と計算書を市に出した。造成図には土地の現在のスロ―プを表す等高線,排水のパターン、敷地の境界線から、どこまで引き下がって建てるのだとか、どこをどのくらい造成するのかとか描く。ここは田舎だから,井戸から家までは100フィートの距離ね、とか描く。ここでは,新築、増築にかかわらづ,建築許可申請毎に、井戸の水質検査をさせられる。バクテリアのチェックもあるのだが、主に急に混じり込むかもしれない異物,例えば農薬とかを調べる。この辺りに農園はないのだが、遠くのゴルフ場の肥料,その他、防虫ケミカルとかがここまで来ていないか調べる。しかし井戸はけっこう深いので、水脈は島のものではないとも言われている。コストは何度やるかでかわるのだが、一回50ドル,位だった。井戸は自動で、底に水中ポンプがついている。町の水道と同じように使う。ここの水の味は気に入っている。

              日本の田舎ではこういった水質検査等なかった。飲めればそれでよしという、

おおらかなものだったのだろう。井戸の深さは3メートルくらいで、まわりが田んぼだったから、田の水を濾したようなもので,生活していたのだろうか。戦後すぐの頃は、つるべからバケツに水をとり、それで風呂いっぱい水を汲むのは労働だった。特に山仕事で疲れて帰って来て、夕食を作りながらの仕事だから,大人は楽ではなかったろう。(後には手漕ぎのポンプ,そして水道になった)水質検査とかが先で,それに認可が出れば書類審査である。プロセスは早くいったほうだ。二ヶ月ばかりで,書類に許可の判が押された。アメリカにも判はあるのだ、違いは、こちらでは、判の中に人がサインをする。俺が認めたぞというサインだ。何部かの図面が市の記録とインスペクター用に市に残り、一部がこちらに返される。このとうりに建てるべしという意味合いだ。それと同時にインスペクション用紙が渡される。黄色のはでな厚紙で、段階毎のインスペクションリストがある。

           それで市のインスペクターが、折り目毎に来た。基礎の穴の深さをはかり、次は基礎内の鉄筋を組んでよろしいという。コンクリを流す前にまた来て、施工してある鉄筋の数をかぞえ、床下にはいる電気工事の基礎配線をしらべる。コンクリの後、壁を組む前にまた来て、壁と基礎をつなぐ、ボルト類、帯状の鉄コネクター/ベルトの数等かぞえていく。家と基礎の一体化をみているのだ。かべにかかると構造壁の釘の種類、何本,どの間隔で打ってあるとか、数えていく。はい,断熱材を入れていいよと,許可があると,次に天井,壁,床下などの断熱材の厚さを図面どおりかチェックする。除湿装置、除湿シート、配線、配管、換気、等を図面通りであるかしらべて 「これ、よろし」と段階的にサインをしていくわけだ。サインがないと次の工事にとりかかれない。

              もし,インスペクターを呼ぶのを忘れて、次にいってしまった場合は、まあ,全部とりはずし。なかなか、きびしいのだ。例えばコンクリ工事が不良なら、油圧ハンマーなどでぶちこわす。ずいぶん、コストと,日にちがかかる。インスペクターは始めから最後まで,同じ人である。ここは島だから、彼は水曜日にしか来ない。工事が早く終わっても、水曜日まで、時間待ちをする。ここの工事ではいちども、やり直しを、命じられなかった。つまり、一度でパスした。建築コードはインターナショナルコード。住宅もそれでやっている。構造は2x6フレームで、外壁はすべてが構造壁として、合板で覆った。屋根の強度はトラスを作った工場がエンジニアリングを受け持った。

              ここまでで、ご想像出来るように、じぶんで工事しようと,どこかの会社にやってもらおうと、コード (建築基準法)は同じ、インスペクションも同じ、最後の製品は、図面で許可したとおりね、、、というわけで,非常に明解だ。無許可でなにか作ると,市には、市のブルドーザーをもってきて、壊してしまうという権利がある。勿論プルドーザー代は後で請求してくるのだろう。

             

              次に、工事内容を手短に話す。基本的には手造りというか,予算の関係で、自作なのだが、手で出来ない、あるいは、手ではしないというのが多い。基礎のjコンクリ工事からいうと、大型ミキサーが何台も、間を置かずに,つまりどんどん続けて来て、一日で流した。ミキサー車はコンクリは流せない。流すのはポンプ車で、ミキサー車はポンプ車の受け口にコンクリを流し込むだけだ。ポンプ車もいわば大型で、20メートルくらいのクレーンがついていて、建物のこちらにも、あちらにも届く。ここは島だから、それらの重機にフェリー代を払って来てもらうのが、面倒なものであった。コンクリ工事は間がおけないのだ。ちょっとおやすみ、、が出来ないのだ。船のスケジュールとの調整もある。コンクリ車を一時間待たせると、ずいぶん余分の費用を要求される。コンクリ仕上げには,サブコンは傭わないで(高くつくから)サブコンで働いているような人を7人ばかり傭った。

              基礎の後は2x6構造で二階建ての、壁、床をあげていくのだが、ここでもかなづちトントンというシーンはない。もちろん鑿などもない。釘は何種類ものネイルガンでパチーパチーとやるだけだ。ホッチキスだけで家を組んでいるようなものだ。やっているのは自分だけど、どうも手造り感という風情には欠ける。ここはアメリカだから、コンプレッサーとか,ネイルガンなどはうちにもある。なにも工具等借りる必要はなかった。材木も切る手間をなくするために、材料店から来る長さでそのまま組めるように、サイズ設計をした。時間短縮のための、かるいテクニックである。一階の構造壁が出来たら、二階の床を組む。これも工場で寸法に切って来た建物の幅の長さの床構造を置いていくだけ。梁を組んでとかいう手間はない。その上に二階の構造壁ができたら、またまた大型クレーン車がきて工場で作って来たトラスを、その上に載せてくれる。

              手造りというのが、かなり申し訳なくなるが、実際には自分一人と、時々雇うわかい近所のお兄さん達とで作った。話をきいていたら、あほらしくなるだろうか。工期は基礎から駆体まで、雨の日をふくめ二ヶ月くらい。内装にも結局そのくらいかかったのか。壁のドライウオールとかは広いので,結構時間がかかった。床のフロアリング(フローリング、とはいいません、フロアです。)は合成木で二日、石張りも三日くらいかかった。台所はユニットを組むのに二日くらいかかった。大変だったのはなにかというと、ここは小雨がよく降るところだ。それで、棟があがり次第、シートで全部を覆った。しかしシートは一枚では足りないので何枚もある。何枚もあるのに時には風がふく。風が吹いてもシートを釘止めなどしたくない。あとで、釘をぬくのだって大変だろう。そんな兼ね合い等だ。労務者管理ももちろんあった。

参加はするのだが、ぜんぜん役にたたないやつもいる。うまく引き取ってもらわねばならない。

 

              それで、最後にインスペクターが「Have fun !  」といって帰っていった。かなりのじいさんで、この島にはもう何十年も通っている様子だった。紙に最後のサインをして、この紙はいつまでもとっておけよ、、といって帰っていった。近所の人や,知らない人が、車をとめては無駄話をしていくのが、結構うるさかった。今仕事中ですから、話しかけないで下さい、というサインを作ろうかと思うくらいだったが、田舎はしょうがないと、つきあった。

              出来上がりはなかなか結構で、これで家のほうに置いてあったコンピューターとか、自分のあれこれを移せた。ゲストハウスのインテリアは妻の好みにまかせた。そのかわり,二階には口を出すなという理屈である。キーボードで,がんがんにピアノを弾いても,家には聞こえない。たまに客が来ても、家には通らないから、妻も気疲れしない。なかなか、結構である。

              この基本工事で決めていなかった事が一つある。それはこの建物をどう暖房するかという事である。夏は快適に涼しい所だから、冷房は要らない。冬の暖房費は,へたをするとずいぶんかかる。ゲストハウスは二階より狭いから、240ボルトの電気ヒーターを壁に埋め込 んである。問題は広い二階のほうだ。この辺りの,研究,格闘は、別稿とする。