シンプル ライフ(森の中の人生-その2)

 

走辺憲史

 

前にソローについて書いた。もう少し、詳しく彼の書いた「森の生活」を見てみたい。

              1845年に、ヘンリー デイヴィッド ソロー  (Thoreau) というアメリカの作家,哲学者,が マサセッチューセッツ州にあるウオルデン ポンドのそばに森の小屋を建て、シンプル ライフについて,本を書いた。彼は二年と二ヶ月文明生活を外れて、森に入り、そこで自給自足の生活をしたらしい。メープルとかホワイトパインの生えているアメリカ北東部の森である。土地の広さは全部で11エーカーあると書いてある。自分の所有ではなく、借りた土地だという。

              その土地に行き細めのホワイトパインの木をどんどん斧で切っていき、自作の小屋を建てる準備を始めた。ホワイトパインの若木は全然堅くないからそれ自体はたいした作業ではない。斧は友人からの借り物だった。切った木を径6インチばかりの柱にしていくのも斧だけだった様子だ。日本のちょうなの様な物があれば、はつる作業だけで便利であったと思うがそんなものはなかったようだ。木は面をとるためには固定して、斧を上下に使い、縦の面を切っていったのだろう。生木の皮を剥ぐためには日本の開拓鎌を二本ほど先と先をつないだような、両手で持ち、手前に引く道具が昔からアメリカで使われていた。それでは必要な板は鋸で挽いたのかというと、それには近所のいらなくなった小屋を買ったという。それを解体して、釘、ドア、窓、板など再利用したらしい.

              それで、小屋は三月から作り初め、七月には屋根が出来、まだ壁がないうちから住み始めた。冬になる前に石を集めてきて暖炉を築きはじめ、煙突が出来、壁をこけら葺きで張ったという。これはしかし日本のこけら葺きとはけっこう違う物で、シングル張りという意味だろう。シングルは50センチくらいの長さ、厚さ1センチ位の縦割りにした板だ。幅は5センチから30センチくらいで割った木の直径まであるわけだ。よく乾いたシーダーなら斧で簡単に薄く割れる。それを縦に壁下から張っていき下20センチばかりが表にみえるように重ねていく。

              家の大きさは間口10フィート、奥行き 15フィート、壁は8フィートの高さ、屋根裏とクローゼットがあり、両壁に窓ひとつづつ、炉もあったという。トータルコストは当時の金で28ドルであった。かかった材料費は品目ごとに細かく記録している。使い回しのレンガ(古レンガ)が1000個で4ドル。今ならふたつで1ドルくらい。そのレンガで家の後ろ壁に沿っている暖炉の煙突をつくったようだ。それと暖炉の石を積むためだろう石灰二樽が2ドル40セントで、高額だったと書いている。もうセメントの時代だったと思うが、レンガや石は石灰で積むものだったのだろうか。石灰は乾くのが早いから、普通のセメントモルタルで積むより早かったのかもしれない。煙突部は家の屋根の頂上をつきぬけて、16フィートくらいの高さにはなる。それを石灰だけで積めるのだろうか。石灰が樽ふたつと書いてあるが、人が数人でも運べないほどの樽でないと、石の暖炉及び煙突は出来ないと思うがどうだろう。まあ、実物を見に行ってこないとこのあたりはわからない。

家の幅10フィートはちょうど3メートルくらいだ。家は小型車の車庫くらいといえるだろうか。大学の学生寮が、同じくらいの広さで、年間30ドルもする。この家なら28ドルで、もう一生住める。安い物だろうといっている。一年の寮費よりこの家のほうが安かったぞと言っている。大学の話のついでに、考えてみれば教育もなぜ、こんなに長期にわたるものが必要なのかと、まともな疑問も呈している。彼自身も大学生のとき、コースの科目全部に興味が持てなくて苦戦したらしい。青年達が何年学校で勉強しようと生きることを勉強しないなら、たいして意味はないのではないかと述べている。正論である。

              「わたしは二年間の経験から、この来北寄りの緯度においても自己に必要な食物を得る事が信じがたいほどのわずかな労力で事足りることを、また、人は動物と同じような簡単な食事をしてしかも、健康と活力を保つ事ができることを学んだ」と書いている。こういった彼の自分自身の経験による記述が、彼の本をアメリカの大切なクラシックとした原因だろう。

彼は人が単純な生活をして自分が作った物だけ食べるのならほんの少しばかりの土地を耕せばやっていけると書いている。そんなにはいらなかったのだろうが、実際には2エーカーばかりを耕作したらしい。ライ麦、トウモロコシ、パムプキン、ビーツ、豆類、また甘みのためにはシロップをとるためのメープルでも森に植えておく。その他、野にはベリーが各種あり、摘んでくるだけでよい。野生のリンゴもある。池では7ポンドの魚まで釣れる。最初の年はしかし、米とか油とか、ベーコンとか店から仕入れたようで、それらが幾らかかったかと記録している。彼の面白いところは絶対に、必要以上は働こうとしなかったというところである。暇な時間をたくさんつくり、読書、詩作、散歩、植物、動物達の観測などを楽しんだ。こういった質実剛健さは、アメリカ初期の移民達、清教徒達のライフスタイルとも通じるところがあるのだろう。

彼がこの自作、自助生活をやったのは28歳の時のようだ。恋愛経験皆無ではなかったらしいが、独身であり、扶助すべき家族は無かった。自分で作った小舟を河に浮かべて、一週間の旅行を楽しんだりしていた。孤独を愛して、コンサートとか観劇とかそういった都市的、社交的な行事には、全然興味をもたなかったようだ。この二年間、ソローは必要な少しばかりの現金のために、村で何でも屋をやったりした。ソローは癖なのか本の中で講釈がたまらなく多い。実用的な事も詳しくかいてあるのだが、すぐに文明論になっていく。何を言っているのかよくわからないところもある。そうしたら読んでいてこちらの目が眠くなる。ソローの本は長過ぎる。半分の長さでちょうどよかったのではないか。まあ、いろいろ講釈がしたくてこの本を書いたのも事実だろうから、仕方ないのかもしれない。

              眠い目で読んだりしているから、読み落としたりしてよくわかっていないのだが、飲み水はどうしたのだろうか。家の中で使うためには、大きな甕とか、樽とかにため置いて使ったのか。また冬の雪の中、外にある、トイレ(アウトハウス)にあるいていったのだろうか。これはつらい作業だ。あまりに寒くて、トイレに腰をおろしたら、もうなにも出なくなったりする。残り木で外に物置でも作ったように書いているが、一冬分の乾いた薪はどこに置いたのか。これはトラック一台分では足りないくらいの量であるはずだ。雪、雨の多いところで、薪の保管は結構大変である。シートを掛けるくらいでは中の木が湿る。またシートだけなら簡単に風で飛んでいくのだ。

             

              ソローのこれはアメリカ北東部の森の中の話である。今、自分は同じようにアメリカ北西部の森の中に住んでいる。ニューイングランドとシアトルの違いである。気候も植物も結構似ている。むこうの方が冬はもっと寒そうだ。池が凍ると書いてある。ここシアトルの森での自分の生活と比べると、ふたつ大きな違いがある。自分は家族持ちで、独身の28歳ではない。それとなぜかアートを本業と心得ている。つまりどちらもそれに伴うコストがある。只のアートもやるけれど、只でないアートもやる。

              若いときなら自分で森の木を斧で倒し、それを薪に割っていくなどかるいものである。自分も倒木をチェーンソーで輪切りにして斧で割ったりするけれど、一時間もやればもう疲れる。人はいつまでも若いわけではない。生活は一人なら。好みでいくら質素でもかまわないだろうけれど、妻に毎日ゆでたトウモロコシを塩だけで食べろといえば、悲鳴をあげるだろう。

アートについても全部が只ではない。絵の具は要らないにしてもコンピューターもいるし、電気もいる。プリンターとかプロジェクターとかメデイアのコストもかかる。今の生活は電話代があったり、税金があったりする。どこかにいくには交通費がかかる。多くの小動物が冬を越すために木の実など蓄財するように、人もまた、老化の時期のための準備がある。人生は若いときだけではない。28歳の若者が自分の世話だけで充足しているのでは、いわば片手落ちである。働き盛りというのはふつう、働き盛りでない人々の世話をするという義務がある。自分が子供の頃、村の老人達が自分達の体の何倍もありそうな荷を背中に負い、山道を登っているのを見ていた。あの時代の視点から見たら、ソローは自分勝手でもある。怠け者でもある。自分一人の充足だけしかしていないわけだ。

ここの森で我々の隣に住む住人は60歳近い独り者だが、自分が老化しても耄碌しても心配ないと言っている。戸棚に六連発のピストルが置いてあると言っている。その時がきたら、誰に迷惑もかけず、自分の始末はするというわけだ。それも、現代のシンプルライフだろう。

 

ソローの二年二ヶ月という時間は、生活実験であった。あとで普通の文明生活に帰っていった。だれだって若い頃は、要らない物に埋もれた老人達の生活を軽蔑する。我々はマテリアルに埋もれるほど、そして自然から遠ざかるほど、心のバランスを失うようだ。都市には人々を病気にし、精神を破壊するところがあるようだ。心が小さくなりつまらぬ理由で、自己破壊を始めたりする。ソローの実験は我々の基本を思い起こさせる。時には原点にかえり、転換とか、破調とか心がけないといけないようだ。