シンプル ライフ(投げ入れ その 2

 

走辺憲史

 

              茶の話題を続ける。柳宗悦に「雑器の美」という随筆がある。毎日触れる民芸の美を述べた書だ。工夫が道路を作るように名も知れぬ人々が茶碗を焼き、甕を作り、かごを編む。作が無欲の故に、携わる者の貧しき荒れた手、拙き工具より生まれ、路上のむしろの上で売られていた雑器について書いた本である。そういった慎ましい器に美が包まれるとは驚くべき事ではないかと述べた最後に、宗悦は茶室について触れる。現代では茶室に数寄をこらすが、その風格は賤が家に因るものである。今も田舎家は美しい。茶室は清貧の徳を味はふのである。今は茶室において富貴を誇るが、末世の誤りを語るに過ぎぬ。茶の美は貧の美である。このように述べている。

              まあ、そこまで言われると、はいすみません、宗悦さん、あなたが全部正しいですと認めるより仕方ない。茶室がきれい、清潔で、いけないという法はないが、華美の極みとして、贅をつくしたものは、茶室の体裁をとっていようと、やはり末世の誤りということだろう。

              いつだったか、元首相の細川さんが自宅に客を呼び、茶をもてなしているのをテレビ番組でみた。あれはなかなか結構であった。細川さんは有名店の菓子でもあつらえることが勿論出来たはずであるが、そんなことはしないで、庭の落ち葉を掃いて作った焚き火の中に、サツマイモを投げ込みそれを茶菓子として客に出していた。客としては芋と有名店の菓子とどちらがよかったのか知らないが、茶はあのように、素直で、現場主義あるのがよろしいようである。

              その点、多くの主婦達の茶は思い切りが悪いようで、先日招待されたときは何々店の菓子であったから、自分がお招きするときは、それに見あう、何々店のものでないとやはり様にならないだろうとか気を使ったりするようだ。とてもサツマイモではすまない雰囲気となる。そういった勢いで、茶室も京都の何々に作らせた数寄屋ということになり、料理も、どこどこの仕出しという事になる。出前料理人はなら誰々を呼ばねばとか、おおげさになる。茶室の値段も何千万ではすまない雰囲気となる。天井板はこれ、赤土はどこどこの何とかいう。これはやはり、茶の本質からいくと柳さんの言うように、どうも堕落以外の何ものでもない。そういった、おばちゃんカルチャーによりそい、それを経済的基礎とする、茶の方の家元制度もあまり素敵とはいえないようにみえる。

           勿論同じ茶室でも、松下幸之助さんの作らせた、伊勢神宮での茶室のように、「金に糸目はつけません、この時代の最高のものを作っておくれなはれ」というのは、またべつの尺度で語られねばならない。つまり、ここでは、金はテーマでも何でもなく、技術、美の粋を尽くせという注文である。これは富貴を誇る末世ではなくて、神に捧げる当代きっての選ばれものという、別枠となる。磯のアワビはアワビで、日本全国どこでもとれるものだろうけれど、最高のものとなると、なんだろうと質問がわき、

それから発生する審美というか、なにやら、なにやらの追求というのは悪いものではない。柳さんには申し訳ないが、これは別枠と見ていただかないといけないだろう。堕落ということではなくて、伊勢へのお供え物ということなのである。この場合、清貧など気取らなくても、最も清らかなものといった態度でいいのではないか。真新しい杉の美しさ、社殿の檜とはまた違う風格の、それだけをテーマとした茶室としても、それはそれで理屈にかなっている。

 

              オスロに行った時、歴史的建物、民家等をテーマとした野外公園にいった。オスロには針葉樹の森がひろがり、木材には不自由しない土地柄である。今、自分の住んでいるアメリカ北西部とまあ、同じ風景である。木が豊富という事はしかし、木をふんだんに使いすぎるという、文化的欠点ともなる。少なくとも木の少ない国の人々から見たら、その使い方がいい加減とも見える。

              公園には昔のノールウエイ式農家、仮の小屋、貯蔵庫、物置、といった木造構造がたくさんあった。それらの建物の床は径30センチはある丸太を半割にしたものだった。板を作るのは大変だから、丸木を縦に半分に割っただけのものである。壁はどの面も径25センチぐらいの丸太を横積みした丸太構造で、屋根もまた丸太を渡し、その上に30センチばかり土を盛り、草をそのまま生やしたようなものだった。粘土のようにすこしは粘り気のある土をそれだけ盛れば、防水となる。寒いところだから、壁の断熱は重要で、丸太のままの厚さというのは悪くない。しかし、道具としてはまあ、斧だけで建てたものだから、無骨というか、実質本意というか、唯、頑丈というか、優美さからは遠いものとなる。勿論、木造の教会等の大型建築には、なるほどという美しさが加えられていた訳ではあるが。庶民の建築はもっぱら、丸太、丸太、となる。それがローカル建築であった。

              このワシントン州に引っ越して以来、森の中に何カ所か、空き地を作った。それらのスペースに何度も茶室づくりを考えた。「野にあるように」という事で考えれば、いったいどういったものになるのだろうか。出来たら、この地方の工法で、この地方の材料で作りたい。それも出来たら、いかにも質素なもの。かって、日本人が何本か柱を立て、竹を組みそれに泥を塗って壁とし、茅を刈ってきて、屋根を葺いた。そういったローカルであると理解の簡単な工法があるだろうか。

              三、四寸の細木を何本か立てて、上の方を傘の芯のように縄でくくり、外にはキャンバスを張り、アメリカインデアンのテイピを作る事も可能ではある。制作もわりに簡単である。だがそれでは、夏でも寒い。寒いのはいやだ。まあテイピの真ん中で火を焚き、遥か上のキャンバスの隙間から煙がでる。そのあたりは、茶室にむいているようにみえる。しかし、あれはどちらかというと移動式住居で、テント式住居だ。じっさいにやってみると楽なものではない。雨の日は、テントの中に川が出来たりする。そとに充分排水の溝を切ってもである。一週間も滞在すれば、中の品々にカビが生えてくる。

              スエーデンの本屋から何冊か、北欧の工法をしめすロッグハウスの本も買ってきた。ここは昔から、北欧の人間が移民してきた土地である。アメリカ式のロッグハウスより、スエーデン式の方が、すこしばかり不器用でない。みばえがよい。またスエーデン式ではロッグハウスをそのまま泥の中に埋めて、ドアだけ外から見えるようにしたのもある。棺桶を土の上においてその上にもっと土を被せて、泥まんじゅうにしたような、ああいった形式である。あれはなにやら、ふざけていて、かわいい。ドアだけ派手な色に塗って、「はい、いっらっしゃい」をやっている。つまり、草の中に突然、人の家のドアだけ見えるのだ。これなら、本当の草屋となりうる。これも考えてみたが、ご想像通り、そうやって潜るのなら、木は使わないで、はじめから防水のコンクリで固めていく方が工事も簡略化されるし、メインテナンスもいらなくなる。そうしたら、どこがローカル建築かわからなくなる。中にサウナのように板だけ張るというのも、いささか申し訳ない手法だ。

              ロッグハウスでも壁の四隅を重ね積みにしないで、L−字型の鉄材を派手な色に塗り、コネクターとして使い、ハイテック ロッグハウスも考えた。しかし、日本の数寄屋のあのなさけない、ひょろりとした、足で蹴ったら飛んでいきそうな風情から遠くなる。なにしろ丸太の固まりというのは、材質的、あるいは物量的に、どうしても大変頼りがいのある建物ができてしまうのだ。この浮き世における、仮の宿といったなさけなさが吹っ飛ぶのだ。賤が家ではなくて、爆弾用シエルターとなってしまう。なにしろ頑丈なものが出来るのだ。では本当に頑丈なのかというと、全然そうではなくて、湿気には実に弱い。ここでは倒れた丸太をそのまま外に放置すると、まあ三年で、ほとんど腐る。それだけ湿気が多いのだ。少なくとも木の皮だけでも剥いでおくと、もう何年か保つという。皮との間に水がたまるのだ。

           カリフォルニアからここに来て驚いたのは、フェンスとか屋外用の材木は全部防腐処置が施されている事だった。勿論それだけ分コストは高くなるが、生の木ではこの気候では、保たないということだ。ロッグハウスの場合は防腐剤の色がみえてはまずいので、毎年、透明の排水剤を塗るというか、しみ込ませる事になる。水を極力弾くのだ。シーラーで固める訳だ。外国人がこのあたりにくる前のローカル原住民はどんな家に住んでいたかというと、テイピではなく、いわば漁師達が浜に作る、漁労小屋みたいなもので生活していたようだ。その辺りの流木を拾ってきて、重ねて置いただけのような物を想像すればだいたい当たりだろう。鮭を採り、そのまわりで干したり、薫製にしたり、そういった生活だったようだ。それをここに再現して、茶室だあーといってもいいのだが、木と木を重ねた間に押し込んだ土から、ネズミとか、蛇がでてきて、ご挨拶されたりするのはどうも気に喰わないのだ。

 

              こういった会話を大竹さんと何度か交わした事がある。現代社会の廃棄物でやるとか、ファブリック構造にするとか、コンテナを重ねてみるかとか、何やら、伸びる素材で、伸びる茶室をやろうとか、南国のような蚊帳だけでいいのではとか、ゴムボートのように空気を入れたら「あーできた」という茶室とか、多くのアイデアが検討された。まあ、別に一つにしぼる事もないので、このうちのいくつかをやってみようと考えているわけである。南国の蚊帳はもう準備出来た。まだ張る場所を決めていない。

また、この土地は場所によれば掘ったら、純度の高いほとんど白色の陶土がとれるというのがわかった。これはまだ検討していない方法である。50センチも掘れば厚い層がある。さてどうしましょうか。